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書き直しの魔力。ありがとうnote。

note を始めて、1ヶ月が過ぎた。
1週間に1回投稿していて、今まで5つ記事を書いた。

みなさんはどうやって記事を書いているのでしょうか?

書いた記事は読み直したり、書き直したりしているのでしょうか?

私はこの「書き直し」が止まらない。もう新しい趣味と言える。

そんな暇な人はいないだろうけれど、もしもう一度私の記事を読んだとしたら、どこか変わっているはずである。

この「書き直せる」機能というのは私にとって魔力。抗えない。

だって今までの人生で1度でも「提出したものを後から書き直せる」なんてことがあっただろうか?

否。

初めて知った時は信じられなかった。知ってしまった今では中毒。

それはまるでパトロール。

ぐるぐるグルグル見て回る。
読み直す。見つける。書き直す。
この見回りに終わりはない。

しかしこの無限ループはやばい。
沼だ。
とにかく終わりがない。
終わりがないから、ついつい書き足してしまう。書き足すと勢いがなくなるし、くどくなる。書き『直し』たはずが酷くなることもしばしば。どんどん迷走する。

蛇足と迷子。

トホホ。

しかし、それでもやっぱり私にとってこの「書き直せる」恩恵はとてつもなく大きい。

まず、なんだかわからない力に突き動かされて書いてしまった気取った言葉や文章を見つけた時。後から読むと意味は分からないわ、恥ずかしいわ。
速攻削除。速攻書き直しである。
本当にありがたい。

しかし何と言っても私にとっての一番のメリットは、書いている時にはまだ気づいていない自分の中にある「モヤモヤ」を読み直すことで発見し、言葉や文章にできた時だ。

『引きこもりは現代の仙人。私がnoteを始めるまでの心と頭と妄想と。』

この私の初投稿の記事の中の「引きこもり」 はまさに何回も読み直し、書き直したからこそ出会えた私の心の声だ。

ヒューマンデザインで私は『hermit』と出てきた。日本語訳は世捨て人。

『hermit』という単語を調べてみると「世捨て人、隠遁者、仙人」と出てきた。それだけではなくアメリカでは「引きこもり」のこともそう呼んでいるという。

「世捨て人、隠遁者、仙人、引きこもり」

なんか面白いな、キャッチーだなっと思ってタイトルにした。その時はそれだけだった。

ただ私の中で何かが引っかかっていた。ぼんやりした何か。

投稿した時には小さすぎて「言葉や文章にできない」なんかモヤモヤした何か。

初投稿の後、書き直せると知った私は本当に取り憑かれたように書き直した。何回書き直しただろう。

その度に「引きこもり」の所が気になる。目が行く。モヤモヤする。

私は初めて「引きこもり」について考えた。今まではニュースやテレビで流れる紋切り型の引きこもりを何も考えずにただ眺めるだけで、特に積極的に考えてみたことが無かった。

普段自分が使う「引きこもり」は、自宅から出ず人に会ってない時のことを指す言葉で自嘲気味に使っていた。

それまで「引きこもり」は私の中でネガティブな言葉だった。

しかし「引きこもり」についてちゃんと考えてみると私が持っていた概念がどんどん変わっていった。

『hermit』の訳が私にヒントをくれた。

「引きこもり」って、ただ家から出られないということではなく物事を深く考える人なのではないか。それって時代が時代なら哲学者だったり、思想家、仙人と呼ばれたのではないか。

忙しく何かをしている時は楽だ。
何も考えなくていい。
心が亡いで忙しい。そのとおりだ。
とにかく目的に向かって動いている。動かされている。
やらなければならないことを、
次々とこなしていく。
何かやっている感じがする。
前に進んでいるような気になる。
気がつけば「忙しくて」と、
嬉しそうに言っている。
思考が停止し、
車輪だけがカラカラ回っている感じ。

気持ちは未来にある。
今ここにはない。

私は長い間ずっと、
忙しいは良くて暇はダメ、
動くのは良くて止まるのはダメ、
だと思っていた。

やたら用事を入れていたのは、考えることから逃げるためだった気がする。

考え続けることは修行だ。どこにも辿り着けない、グルグルしてしまう思考の中にいることは、苦行以外の何物でもない。動けなくなるほどだ。



時代は「風」らしい。

時代は変わったと友達が教えてくれた。調べてみると「土の時代」が終わり「風の時代」になったという。

土の時代の約220年が終わり、風の時代が始まったらしい。

土の時代はお金や資産といった目に見える物質の時代。大量生産大量消費に走ったのはその結果らしい。

風の時代は、情報や知識など形のないものが重視され、人々は知を求めていく時代らしい。

これを知った私は、

時代は 『引きこもり』 なのでは?

と思ったのだ。

なんとなく今まで、軽いもの、軽薄なもの、明るいものの方が良くて、重くて、慎重で、思慮深いことは、暗い、ノリが悪いと一括りにされ、めんどくさい人と呼ばれ、なんとなく良くないような風潮があったように思う。というか、私はそう思っていた。

そう考えるとあの頃の居心地の悪さの説明がつく。明るくて、軽くて、軽薄な私も十分にいたが、その逆の私もいた。でも、ぐるぐる考える袋小路の自分のことは外に出さないようにしていた。

そういう時の私の友達はいつでも本だった。

しかし今、時代は「風」だと言う。
これからはこっちの時代。

そう、「引きこもり」の時代なのではないか。

ぐるぐる考えることが普通になって、こっちのほうが表舞台に出ていく時代。言い換えれば、一人で引きこもって考えなくても良い時代なのではないか。おおっぴらに「考える人」のロダンのポーズをとれる時代なのではと。

「読み直し」「書き直し」を続けていると、私の中でバラバラだった事柄や記憶が徐々に結びついて形になって浮上し、言葉になって文章として私の前にあらわれる。

そこで初めてモヤモヤの正体を知る。

まさに「引きこもり」がそうだった。

そんな私の妄想、想像、思考を経て出てきたのが「引きこもり」の新しい概念。

引きこもりは現代の仙人であり、
クールで知的な内省的な人。

そこで考えた。

時代はもう変わったのだから「引きこもり」 の呼び方を刷新して「hermit」にしてはどうだろうか。

「わたし今ハーミットだから」みたいな。

そこまで書いて私のモヤモヤが全て消えた。

note を始めてたくさんうれしいことがあったけれど、

「私ってこんなこと考えてたんだ」

という自分の内なる声を発見できた時は、特にうれしい。

本当に「noteありがとう」である。







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