「あなたは情熱的な人です。でもちょっぴり冷たいところもあります」みたいなこと
つきこです。
この記事のタイトルみたいな言葉、占いとかでよく見ませんか?
あなたはよく「しっかりしているね」と言われます。
でも時々失敗してしまうときもあります。
いつもは元気なのに、たまに落ち込んでしまうあなたへ。
好きなタイプですか?うーん、優しい人ですかね。
なんか言葉触りはいいんだけど、「いやw当たり前やんw」って言いたくなるようなこと、ありませんか。
だって誰でも情熱的になったり冷たくなったりすることはあるもの。
「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」と言ってのけた某大臣もそうかもしれないけれど、どう考えても当たり前のことをそれっぽく言ってしまう。
誰にでも当てはまりそうな最大公約数的な言葉で、それっぽい根拠を並べて、あたかも自分だけが知っていることのように話してしまう。
しかも、そういうときに限って大きな声で。
これ、誰を貶めるわけでもなくnoteを書こうとしているときの僕の癖だなって、そんなことを思ったのが今日でした。
いま僕のnoteには下書きがいくつか残っています。
見返してみると高尚なタイトルをつけたものがいくつか。
下書きには練って練って硬度を高めているものもあるのかもしれないけれど、僕の場合は「書ききれなかったもの」。
なんで書ききれなかったかと考えると、毎回途中で指が止まってしまうからです。
書いている途中で冷静になって「いや、これどんだけ上から目線でものを言ってるんだろう」と思って慌てて修正をかける。
そうこうしているうちに時間がなくなって次の日には偉そうな自分の文章なんて見たくなくなって、ついには修正することすらやめてしまう。
しかもそんな記事こそ、中身は何も詰まっていなくて、たぶん日本で10万人くらいは同じ文章を書けるような内容で。
「優しい人が好きです」とか「性格が悪い人は嫌いです」みたいな、「みんなそうだよね」って内容で埋め尽くされている。
きっと名前のところ隠したら全然誰の記事か分かんないんだろうな。
たぶんそんな風に表現をしてしまうのが偽らざる僕の本性で、染みついた癖なんだと思います。
それとうまく付き合っていかなければいけない。付き合っていきたい。
ご飯を食べたら美味しかった。
遊びに行ったら楽しかった。
勉強したら難しかった。
せっかく自分が好きに書ける場所があって、何十人かは記事を読んでくれるのだから、それで終わってしまったら書く価値も読む価値もない。
僕の場合、それっぽいことを偉そうに書き始めたときが要注意なんだと思います。
きっと中身がないときに、虚勢を張ってカバーしようとしているとき。
同じ場所で同じような経験をしても、きっと思うことは違うはず。
同じことを思ったとしても、表現の仕方は違うはず。
「僕にしか書けないものを」なんて言うつもりはないけれど、自分ひとりくらいは「自分にしか書けなかった」と自信を持てるようなものを書いていけたらいいな。
誰にでも当てはまるようなことじゃなくてさ。
久しぶりにお湯を張った風呂に浸かって、そんなことを考えていましたと、そんなおはなし。
つきこ
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