教室ってよかったよね
最近学校が懐かしくて、学校に行きたくてたまらない。
いつも思い出す風景は同じで、部活でも授業中でもなく、朝教室にまだテンションの上がりきってないクラスメイトがぞろぞろと集まって来るところ。
毎日決まった時間に決まった場所に同い年の友達が同じ格好をして集まる。僕はわりと早めに登校する方でいつもクラスメイトが集まって来るのを眺めていた。ほとんどいつも教室に入ってくる順番とグループは変わらない。毎日遅刻ギリギリに来る人が早く来る日はだいたい誕生日かバレンタインの日だった。僕はいつも1人で登校していたので毎日同じ友達と仲良さそうに来る友達が羨ましかった。
クラスに1人は寝ぐせのまま来る人がいて、クラスに1人はいつも同じパンを食べ同じリプトンを飲んでる人がいて、クラスに1人はめちゃくちゃ足が太いのにめちゃくちゃスカートが短い女子がいた。
自分と同じ年に生まれた同じスタートラインに立っている人達がその箱のなかにはたくさんいた。
人によってはどうでもいい箱、大好きな箱、辛い箱、様々な思いでその箱に集まっていたのかもしれない。
僕にとって教室とはどんな箱だったのか。
すごく好きでも嫌いでもなかったけどどちらかというと好きだったな。
気も使ったな。行きたくない日もあったな。他の箱が羨ましいときもあったな。
でも今になって1番感じるのは、自分にとってその箱は安心の箱だったんだなと思う。
その安心の箱のことを思い出して帰りたくなる。ということは自分は今、安心を欲していて、焦っていて、どこに居たらいいのか、どこに向かったらいいのか、誰といたらいいのかが分からなくなっているのだと思う。
あの教室には確かに一人一人は違えど同じ授業やテストを受け、進路に悩み、部活や恋愛をしてと皆同じことをして、同じことを考えていた。同じラインに立っていた。同じ方向へ走っていた。
でも今、その教室にいた人たちは皆急に方向やスピードを変え上下左右様々に散らばった。僕は皆を見失った。
どの道が正しいのか皆も分かっていないはずなのにその走り方には迷いがないように見えた。
僕も最初は負けじと走り方や靴や道なんか気にせず全力で走っていた、でも今は走り方も、靴紐の結び方も、道順もわからない。
色んな人に色んなことを言われ、結局は自分だと考え直して、また迷って、頼って、周りを羨んで、今僕は、後ろを振り返って立ち止まっている。
遠くに蜃気楼のように見えるまだスタートを切っていなかったときの楽しそうな、悩んでるつもりでも悩んでない僕達がいる教室が見える。
とても楽しそうだ。戻りたい。やり直したい。
自分で走らなくても前に進んでるように感じた、みんなで手を繋いで楽しく進んでいたあの安心感に浸りたい。
何が正しいのか、何が自分に合っているのかいつになったらわかるのだろう。
どう頑張ればいいのか、何を頑張ればいいのかいつになったらわかるのだろう。
なんで自分として個人として、一生懸命生きているのに、個性が出ていないのだろう。
必要とされたいから自分の中にある小さな個性を誇張して、演じて生きているのだろう。
それはもう嘘ではないのか。
そんなことをしている自分も本当の自分なのか。
そんなことばかりやってたら素の自分が分からなくなった。
だらだらしていても、仕事をしていても、家族といてもずっと演じてる気がする。
あのときの、あの教室に戻れば何も考えず毎日を送れるのだろうか。
今日は眠れなさそうだけど目は閉じていたい。
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