どんなに可愛くても、舌が割れてることもあるよね
少年マンガとともに育った。
というと過言かもしれないけれど、あながち過言でもない気もする。
私が小学生の頃、父の職場には書店員さんが来て、注文した本や雑誌を届けてくれるシステムがあった。そんなわけで、マンガ好きな父は毎週火曜日、『週刊少年ジャンプ』とともに帰ってきた。あの頃あんなにも、父の帰りが待ち遠しい曜日はなかった。
そのジャンプを、ふたりの兄と私で回し読みする。
長兄、次兄、最後に私。
父が帰宅した時、リビングにいる人から読む。
たいてい皆いるけれど、ごく稀に、兄のどちらか、あるいは両方が、外出していたり、お風呂に入っていたりすることもあった。
そんな時だけ、私が最初に手にすることができた。
あの時の喜び。まだ誰も、めくっていない紙をめくる。
ページがくっついて、めくりにくいのもなんだか嬉しい。
とはいえ、兄のどちらかがすぐ現れるので、結局、途中で中断することになるのだけど。それでも、あの1番目の喜びを今もよく覚えている。
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当時のジャンプには、本当にいろんなことを教わった。
最盛期の『スラムダンク』からはもちろんのこと、未知の競馬の世界を描いた『マキバオー』や、『ジョジョ』に『るろ剣』。『変態仮面』の発想力や『こち亀』の圧倒的な知識。
挙げればきりがない。
本棚に並んだマンガたちにも、大きな影響を受けた。
『北斗の拳』は何度も読んで、生きた人間から肋骨だけをつまみ取るという発想に肝を冷やしたし、『空のキャンバス』ではボロボロ泣いて、頚椎は大事にしないといけない、と心に刻んだ。
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そんな中、いちばん印象深かったのは、『めそ』のことだ。
『すごいよ!! マサルさん』に登場するマスコット的存在なのだが、白くて、丸くて、ふわふわ。さらには、垂れたまゆ毛に、つぶらな瞳。
カワイイの要素を、これでもかと身にまとった生物だった。
作中でも皆に愛されまくり、ハートを鷲づかみまくっていた。
それが、ある日のこと。
背中にファスナーがついていることがわかったのだ。みんなギョッとする。こいつは何者だ、と。その後も、蛇のようにひょろ長く割れた舌が目撃されたり、どぎついことをつぶやいたり。
どうやら白くて可愛いだけじゃない。
不穏な一面が目に付きはじめる。
中身はいったい何なのか。
私も子どもながらに、ドキドキした。
モキュッと鳴いて、あんなに可愛い皆のアイドルなのに、誰も『めそ』の中身が何なのかを知らない。
『めそ』に心を奪われていた私は、たしか全員応募でもらえた『めそ』のキーホルダーを手に入れた。5cmほどの小さなもの。そして、それをランドセルに大切につけた。目に入るたび嬉しかった。
何年くらいつけていたのだろう。あまりにずっとつけていたから、少しずつ、確実に、薄汚れていった。真っ白だったはずの『めそ』は、鼻のあたりが黒ずんで、可愛いどころか毒々しかった。
兄や友だちから「汚れてるよ」と指摘されることもあったけど、私はそのたびに、「そこも『めそ』らしいでしょ!」と嬉しそうに答えた。
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期待、ってつくづく難しいものだよなあと思う。
誰かにこうしてほしい、こうあってほしいと、望むこと。
白くあってほしい、可愛くあってほしい、面白くあってほしい……。
「期待しています」と言われると、とても嬉しくなる。
会社にいた頃、上の人に言われると心が跳ね上がった。でも、その嬉しさのあと、私はいったい何を期待されているのだろう、と不安になった。おそらくは、会社のためにがんばってくれ、ということなのだろうけど、それは本当に『私のこうありたい』と同じなのだろうか、と。
期待するほうも、されるほうも、育ってきた環境や性格、考え方が違うのだから、その『期待』の中身にズレが生じるのは当たり前のことだと思う。
だから、『期待』をふくらませることが、たくさんの笑顔や喜びをもたらしてくれるのと同じように、失望や怒り、摩擦、悲しみを生み出す原因にもなりうるのだと思う。
白いはずなのに、可愛かったはずなのに、もっと面白いはずなのに……。
おもってたんとちがう、状態。
期待、ってやっぱり難しい。
そしてよく、『めそ』のことを思いだす。
圧倒的に可愛いかったけど、舌が割れていたし、腹黒かった。でも、それらも全部ひっくるめて『めそ』らしいし、それが魅力だったよなあ、と。
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5歳の娘が、寝る前によく聞いてくる。
「どんな〇〇(娘の名前)でも、すき?」
「もちろん! どんな○○ちゃんも大好きだよ。ママ、怒ったりもするけど、○○ちゃんを大好きなのは、ぜーったいに変わらないからね」
「○○だって、おこったママも、ドジなママも、どんなママもだーいすきだよ」
ジーンときた。暗いベッドの中でひとり。
娘はおそらく私の言葉を返してくれただけなのに。
どんな自分も受け入れてもらえる喜びって、最強なんじゃないか。
そう思えるくらい嬉しかった。
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きっとバランスなのだろう。
まったく期待しない、期待されないという生き方は、やっぱりさびしい。
相手の期待に応えたい気持ちも大事だし、成長にもつながる。でもそこで、自分の限界を超えて相手の期待に応えようとし過ぎると、今度は自分が壊れてしまう。
私も他人や身近な人、子どもに対して、こうしてほしいとか、こうあってほしいとかいう期待を抱いてしまう時がある。
でもそれは、自分の中で作りだされたものであって、相手が本来ありたい姿であるかどうかはわからない。そのことを忘れずにいたい。
期待しながらも、期待通りであってもなくても、相手を丸のまま愛することのできる人間であれたら。
めそを思い出すたびに、そんなことを思う自分がいる。
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思考迷子のまま、長々と暴走しました(汗)。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。感謝しかありません!