観察が作品に個性を宿す。日常のありふれた風景を「芸術」にする目。
「楽しみつつレベルアップ」のために
大切なのは生徒に合ったモチーフ選び
デッサンでは初めにモチーフを観察して、魅力を掴みます。
リンゴを描くとき、形や模様、光沢の具合を見せることもできるし、リンゴがつくる影が面白ければ影をメインに描いてもいい。魅力とは「自分が面白いと思ったところ」です。
観察できたら、形、大きさ、質感など基本情報を盛り込みつつ描いていきます。どんなに着眼点がよくても、何が描かれているか分からなければ伝わりません。
観察と技術、どちらもデッサンには必要不可欠な要素です。
「あたごアトリエ」を始めたのは2019年4月。同じ年の冬に材木町のアートショップ彩画堂で開催したワークショップがきっかけでした。
教室では、円柱のような基礎的なモチーフのデッサンから水彩・油彩までを指導。岩手県立不来方高等学校美工コースや美術大学の受験サポートも行っています。
円柱形の缶、ワインボトル、パプリカ、石膏像、クマの頭蓋骨など。
形の把握、質感や陰影の表現など生徒の得手不得手や技術、タイミングまで考え、村上さんが選ぶモチーフには、絵を描くことを楽しみつつ、レベルアップする喜びも体験してほしいという願いが込められています。
中学生から大人まで
失敗を怖れずチャレンジできる場
この日は中学生から60代まで6名の生徒が参加。それぞれモチーフの前に座ります。
線を引く。影を付ける。鉛筆がスケッチブックの上を走る音が響く室内。かと思うと、音は少なくなったり、止んだりします。観察し直したり、自分のデッサンを少し離れて眺めているのです。
しばらくすると、また鉛筆が動き出します。ですが、中には、そのまま動けなくなってしまう方もいらっしゃいます。
教室の様子を常に気に掛け、そんな生徒にはすかさず声を掛けます。相談に耳を傾けアドバイスをし、言葉だけでは説明しきれないと思えば、実際に描いて見せます。
けれど、試行錯誤も楽しみのうち。レールを敷き過ぎないように気を付けているといいます。
「教室では、自由に描き、失敗を怖れずチャレンジしてほしい。フォローしますし、失敗は必ず糧になります」
最後に作品を前に並べ、一点ずつ講評します。
他人の作品を見て、講評を聞くことは「自分だけでは得られない、貴重な学びの機会です」。
どこがどう上手に描けているか、次回に向けての目標などを村上さんが話す間、生徒たちは真剣に耳を傾けていました。
個性を求め苦しんだ10~20代
観察が「自分らしさ」の源だった
生徒の個性を生かす丁寧な指導を行う村上さんも「30歳までは『自分らしさ』を見出せず苦労しました」とおっしゃいます。
熊本県熊本市出身で、地元の熊本第二高等学校美術科に入学。「3年間で100枚のデッサン」を目標に打ち込み、実力を伸ばしました。
デッサンが「作品になっていない」と先生にいわれたのは受験を控えた頃。説明しているだけで「自分らしさ」が表現されていない、というのです。
この時期から「絵を描くことが楽しいだけではなくなりました」。
それでも、これしかできない、と考え、多摩美術大学絵画学科油画専攻へ進学。在学中は色を重ねた幾何学模様で描く抽象画に取り組みます。
卒業後、2年ほど熊本で非常勤講師として働きましたが、芸術活動を本格化するため、再び上京。その頃に取り組んだモチーフはビルの断面です。建物の内装に付いた傷を隠す補修のアルバイトで見る機会が多い風景でした。
2007年、30歳のとき、趣味の登山で訪れた山小屋を描いた具象画「小屋のある風景」で、第16回青木繁記念大賞展優秀賞を授賞します。
大学で山岳部に入部してから日本アルプスや八ヶ岳を縦走するなど登山経験は豊富でしたが、よく観察していたからこそ「そのリアリティーには勝てない」と断念していたモチーフでした。
「授賞して改めて『観察』の大切さを感じました」
わが子と同じ視点から
見慣れた世界を捉え直す
2008年に里帰りした際、空とひと続きになった有明海に魅了され、水と空をモチーフにした半抽象に取り組み始めます。明るい青や水色を主体としながらどこか影のある作品で、シェル美術賞2011や第7回はるひ絵画トリエンナーレなどに入選。
「受験生のときに伸び悩んでから、観察が疎かになっていたように思います」と村上さんは振り返ります。モチーフをよく見なくても、身に付けた技術やそれまでの経験で上手に描けるようになっていたからです。けれどアウトプットばかりでは技術は上達しても、インプットする力である観察力が伸びません。「自分らしさ」とは観察そのものだったのです。
2010年に結婚。2012年に初めてのお子さんが生まれます。
「子どもができてからは絵を描くのが、一段と楽しくなりました」
お子さんと同じ目線の高さで、一緒に驚き、喜んで世界を感じると、住み慣れた街も新鮮です。特に遊具の楽しさを再発見できた公園が印象的で「子ども時代をやり直している」と思えるほどお子さんに共感。有明海という遠い海だったモチーフが、近所の公園や家族で行くキャンプ場にまでぐっと引き寄せられました。
2017年、奥さまの郷里である岩手県盛岡市へ移住。
盛岡市でのモチーフは、中津川や愛宕山、高松の池など。お子さんとの散歩道で発見する身近な自然です。
柔軟な姿勢と眼差しが
身近なものを魅力的にする
東京では美術予備校で約10年、講師を勤めていた村上さん。現在は「あたごアトリエ」のほかに、月1回、岩手郡雫石町やアートショップ彩画堂の講習会で講師、週2日、市内の高校で美術の非常勤講師を勤めています。
「自分の技術が他者の役に立っていると実感できる」講師の仕事は楽しいと話されます。窮地を打開したり、自分にはない発想が生まれる現場に立ち会えるのも、講師の特権です。立場はその時々で逆転し、村上さんが生徒から教わることも少なくありません。
生徒からもらったという、韓国唐辛子を見せてくださいました。
日本のものの倍近い大きさで、乾燥しているのに鮮やかな赤色。表面も収穫したばかりのような光沢を放っています。ゆるいカーブを描いていて、その内側に幾重にもしわが寄っていました。
「このしわが面白いでしょう。形状、質感、光の当たり方を観察して、しわを描かなければ魅力は半減してしまいます」
世の中に新しい価値観を問い掛ける役割も求められる芸術という分野。
身近で平凡なものも、興味を持って観察し、愛情を持って切り取れば、驚くほど魅力的になることを村上さんの作品は物語っています。
村上紘一(むらかみ こういち)
1976年、熊本県熊本市生まれ。
2000年、多摩美術大学油画専攻卒業。
卒業後、作家活動の傍ら中・高等学校、美術予備校、絵画教室等で指導。
2017年、岩手県盛岡市に移住。
青木繁記念大賞展優秀賞、FACE損保ジャパン美術賞展、シェル美術賞展、上野の森絵画大賞展、はるひ絵画トリエンナーレ入選、岩手県芸術祭洋画、版画部門賞、現代美術部門優秀賞。
第30回ホルベインスカラシップ奨学生。
岩手、東京などで個展、グループ展多数。
HP:
https://www.koichimurakami.com/