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月紙
2022年9月17日 21:18
手の繋ぎ方はすっかり忘れてしまった。依存しているものから如何にして離れるかばかりを考えて今に至っている。今更掴み直すことは積み重ねた自身の価値観を否定すると同義だし、それが正しいとも幸福を産むとも思えない。人間同士で食い合う現代社会において、自己完結を進めることが最も合目的な生き方だと信じている。ISO200f81/10s
2022年9月16日 19:17
最後に浴衣ではしゃいだのは10に満たない頃。人が巣をほじくり返された蟻のように湧いて出てくる花火大会を毎年楽しみにしていた。陽が斜めになると家族で堤防に向かい、陣を敷くことが恒例だった。例年以上の濃い硝煙に浮かぶ屋台。祭りの空気に充てられたその日、自分は500円玉を1枚隠し持っていた。トイレに行くと言って人混みに紛れ、日本屈指の花火を横目にチョコバナナを2本平らげた。煙が晴れ、熱りが冷めた家路で父
2022年9月15日 18:02
彩のある毎日を過ごす大人は全体の何割だろうか。そんな問いが浮かぶ時点で自分が満たされていないことが分かる。何も力をつけずに生きてきた自身の怠惰を棚に上げ、見かけの美しいものばかりを羨むことは酷く不毛だ。けれど、そうすることが生きる上での唯一の慰めなのだとしたら満たされないくらいが丁度いいのかも知れない。ISO100f101/160s
2022年9月14日 18:11
風情を感受する閾値は人によって異なるはずだ。五感以外に人間の性格が大きく関わるからだ。しかし、風に揺らめく提灯や風鈴といった風景に感じる心地良さは万人に共通する。風流と言われるものは今や個人の感性ではなく幾世代にも渡り民族に刷り込まれた画一的価値観と化しているのではないか。表現が容易なこの風景を趣があると言うべきではないのかもしれない。ISO100f161/100s