夜が明ける瞬間
小さい時から、ひとの顔色をうかがいながら生きてきた。
お母さん、先生、ともだち。
いい子でいなきゃと必死になってたどり着いたのは、
なんにもない、わたし。
自分のために始めたSNSなのに
気づいたらフォロワー、いいねの数、伸びないなぁなんて思ってしまうあたり、自分のことがとてもきらいになりそうで。
どうしたものかなぁ。
高校生のときの
「どうやったらあの子みたいになれるかな」
というきもちに隠れていたのは、
あの子 がわたしたちのチームのエースだったから。
顧問の先生に、「うちのエース」と呼ばれたあの子。
先生が あの子 をチームのエースだと”認めた” のだと、
今でもはっきりと覚えている。
それから、わたしはどうしたら先生に ”認められる” のか必死に考えた。
いっぱい走って、いっぱい点を取って、いっぱい自分なりに頑張った。
でも最後まで、先生に ”認められた” とは思えなかった。
さあ、ここで問題です。
”認められる” とは、いったい何?
わたしはずっと、「先生に認められたい」というきもちがありました。
しかし気づいたのです
”認められる” とは、何をもって ”認められる” の?
高校生のわたしは、「つきはチームのエース」と言われたら満足していたのだろうか。
たぶんしないだろうな。
ずっとこころに住みついていた「認められたい」きもち。
それがあったから必死になれたことは事実なので、否定はしないよ。
でも、だからこそ知りたい、
”認められる” の 正体を。
他人から認められる
自分のことを認める
よく聞く。よく使われる。
でも、聞けば聞くほど、それってなんなの、というきもちになる。
考えても考えても、答えが出ない。
今年中に答え、見つかるといいな。
だれか、もし見つけたら、コソッと教えてね
今日はうれしいことがありました。
るんるん。うふ。うふふ。
また話せたら聞いてね。
ここまで読んでくださってありがとうございました
つきでした☾