毎回、何も書くことがない。書き始めてから考えている。
今日は朝8時に起きて、青山公園を散歩した。東京は緑が多い。都市だから当たり前だが。
犬の散歩をしている人や歩いている人、走っている人、本を読んでいる人など、さすがに何回も顔を見ていると特定の人物を覚える。話しかけてくる人も、稀にいる。しかし、なぜか「どこに住んでいるんですか」という質問が多い。めちゃくちゃ意味を込めているか、何の含みも無いか、そのどちらかだろう。
そう言い始めると、どんなことも意味を込めるか、含みが無いかに二分されそうだが、含みが無いならなぜ聞くのか?という話もある。その代表が、住んでいる場所だろう。
この質問は、「含みなんて何も無いですよ」というフォローによって、余計に「含みある感」が増す。もちろん、はっきりと人に教えたことはない。嘘をつかずに、うまく濁している。
犬を連れていると、話しかけられる確率は増える。2倍にはなる。
なぜなら、犬を連れていると、犬を連れている人も犬を連れていない人も、話しかけてくるからだ。逆に、犬を連れている人が、犬を連れていない人に話しかけるということは無い。
犬が可愛いから寄ってくるのか、非常に敷居が低くなる。一般に、動物を飼っている人はコミュニケーションが上手と思われているのかどうかは知らない。熊を散歩させていたら寄ってこないのではないか。この場合は、人間以上に熊の方が恐れられているからだろう。
ただ、これに関しては実験したことがないので大きなことは言えない。
人間が熊のぬいぐるみを着ている分には、大丈夫そうな気もする。でも、東京には人間を散歩させている(もちろん四つん這いで)人もいるので、やはり人間の散歩も怖いのかも知れない。
雨が降ると散歩やウォーキングをしている人が、かなり減る。これは僕のような人間にとっては良いことだが、心理としては全くわからない。
僕が男性だからかも知れないけど、思いのほか男性も減る。雨に濡れることで色々なデメリットや不具合があるのだろう。人間は雨に濡れるのが嫌なのだ。
ただ、僕にはその心理があまりわからない。
さすがに、豪雨の時に出て行くようなことはしないけど、それ以外の雨なら普通に散歩に行くし、走りにも行く。濡れようが濡れまいが、それほど大きな違いがあるのか。男性なら、それくらいのことでやめないでほしい。
そもそもイギリスなんか通り雨が日常的に起こる。いちいち気にしていられない、という環境にある。そういうことを想像してみるのも、良いかも知れない。
ただ、やはり女性は別。これは女性の行動がどうというわけではなく、かわいそうという話だ。
夜の比較的遅い時間に職場にいる時、頭を冷やすために散歩をしに出かけることがある。ごく稀に、女性職員がまだ残っていることがあって、「ちょっと出てきますね」と声をかけるのだが、この時に毎回「男性はいいですね。女性はやっぱり夜遅くに好きに出られませんよ」とおっしゃる。非常に申し訳ない気持ちになってくる。こればかりは、ぐうの音も出ない。
「出ればいいじゃないですか」と言うのは簡単だが、それは無責任な意見だろう。もしそれで何かあった場合、僕は責任が取れない。それで困るのは、僕である。
だから、「歩きたいなら一緒に出ますけど」くらいのことは言う。「じゃぁ一緒に行きます」という返答があることはほとんど無いのだが。
おそらく、「そういうことを男性に言いたいのだな」と納得することにしている。もちろん、気を遣って断る人もいるだろう。でも、それくらいしないと夜を歩けないのだから、気を遣っている場合でもないだろう。申し訳ない気持ちと「たまには夜歩きたい」という気持ちのどちらが大きいかの話だ。
しかし、「なぜ女性だけが申し訳ないような気持ちになったり、行動を制限されるのだろう」という苛立ちは生まれそうだ。これでは、男性側としても良くない。なぜなら、こういう話題で槍玉に上がるのはいつも男性だから、できるなら気持ちよく生活をしてほしいなと、男性の側が望むべきだろう。それが、公平というものだ。
僕は別に、女性に優しくしようなんていう考えは持っていないけど、公平である必要はある。その公平さを「優しい」と言ってくださる人もいるが、それで優しいと言われるのもセコい気がする。だから、申し訳ないの一点張りだ。(用法が違うか)
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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