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東京という名の | エッセイ

地下鉄の副都心線に乗っている。


鈍色にびいろのしたビルをはじめ、様々な建物がそびえ立つ東京の地下に、まるで無数に有る脈のように幾つも張り巡らされている地下鉄。その中では、一番新しく開通された路線だ。

開業する旨の発表がされた当初、テレビを通じて全国区のニュースで大々的に取り上げられていたと思う。だが、一斉に報じられていたこの時の私は、まだ地元の実家に住んでいる学生であり、都内に行く機会もまったくないがために無縁の話であった。

一人のアナウンサーを通じて、渋谷や新宿それに池袋といった東京の中心地の名称や話題を並べるように、直通運転によって利便性が高まるだのといくら説明しようが、「へぇ」「あぁそう」などとしか相槌が打てないのだ。

そもそも、電車=JRという知識しかない状態で、地下鉄のみならず私鉄各社がこぞって張り巡らされている首都圏の路線における内部事情なんて、一人の地方民としては何一つ知る由もなかったのだから。


それから数年後、かつて無関係を装うようにあっけらかんとしていた自分が、その路線に乗る日が来るなんて、想像していただろうか。

それよりもひとり地元を離れ、やがて都内へと移り住むようになったことも。そんなものは夢のまた夢だと言い聞かせるようにして、微塵にも思わなかったことだろう。

けれど、社会人になって働き出してから、どこかで危惧していたのかもしれない。このまま地元に残り続けていれば、自分の望む変化を含めた未体験の世界に触れることなく、自らの骨を埋めるその時までの一生涯を過ごすことになると。

思えば学生だった頃から、何もかも満たされないままの日々に嫌気が差していたのかもしれない。置かれている場所に対して居心地の悪さを感じながらも、誰かに抗うすべもなく、ただただ従うしかなかったことの無力さも加えて。


いずれにせよ、誰かの敷いたレールに沿って歩むという平坦な生き方は、自分には合わない。たった一度きりの人生ならば、どれだけ周囲から無謀と揶揄されようが、冒険せずにはいられなくなっていったのだ。

誰かによって行く手を阻まれようと、己の心が折れない限り、何度でも這い上がり我を貫き通す。なにより私には、どれだけ絶望感に浸ろうと自らの意思で今日まで生きてこれたのだから。



私はこれまで、PRIMITIVE ART ORCHESTRAの「Heart of Cosmos」を、どれくらい聴いたことだろう。

数年前から見始めたabemaで、渋谷のスクランブル交差点のライブカメラ映像をバックに流れているのを初めて耳にして以来、事あるごとにヘビーローテーションするのを常としている。

今や通い続けては見慣れた東京の至る街を散策、あるいは地下鉄などを利用して移動する際、ピアノ・ベース・ドラムの演奏が、すっかり萎縮してしまった心を突き動かすようにして、両耳に付けたイヤホンから流れてくる。

そしてこの日も、朝から通勤ラッシュが目立つ中、私は副都心線に乗り込んでいる。自分の中で失った何かを探そうと、心で叫びながらとある目的地へとめざしていく。


もう一度、私を光の群れに導き出してくれ!」と。





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タダノツカサ
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