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忘れるため、忘れないための振り返り
2024年4月16日深夜0時ごろ。周りが寝静まっている頃、今は亡き父の書斎で一台のノートPCを駆使して、ようやく一つの記事を落とし込むことができた。
振り返れば、自分を支配していた一連の苦しみを解放するまで、およそ一年半の月日をかけてしまっていた。我ながら結果的に、余りにも時間を費やしすぎたと反省せざるを得ない。根気強く別の方法を探し出せば、時間をかけずに事を進められる手段は、いくらでもあったはずだ。
失った時間は戻らない。それ以前に、私は今まで大事だと思っていたものを捨てる決断をとらなければならなかった。でなければこの先、自分の進むべき道は開かれず立ち尽くしたままとなり、なおかつ、本来居るべき元の場所へと戻れなくなってしまうからだ。
自分でそう悟った時、そして自分にとって一つの節目を迎えた時、此処での執筆活動を再開したのである。これまで囚われすぎた過去から、雁字搦めに縛り付けていた苦しみから少しずつ紐を解いていくため。かつて父が仕事に使っていた机を借りて、ひとり文字を綴り始めたのだった。
やがて、何事にも左右されず、己が己であり続けるために。
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先日、今年の此処での記録が、私の元にも届けられた。それと同時に、目を見張るものというか、俄に信じがたいものが飛び込んできたのである。
思えば、こうした出来事が起きた…もとい起こしたのも、去年の今頃だったと思う。当時の自分は、今ここで変わらなければ、決断しなければ先へ進めない、その思いで目的地へと足を運んでいっていた。
ただ、そこで失った代償は計り知れないものがあった。知りたくもなかった真実と、見たくもなかった事実を、私は同時に目の当たりにしてしまったのである。
今年の四月にようやく腰を据えて、一連の出来事を一つの記事にまとめることができた。形にするまでおおよその月日をかけてしまったが、記事を起こした後も自分の心に、どこか引っかかるものがあると感じている。
だからこそ、今回のまとめが飛び込んできた時は、やはり喜ぶべきものではないとそう悟ったのだ。これを誰かに見てほしい、誰を喜ばせたいなどといった感情は、断じて一切含まれていない。自分にとって忌々しくも取り憑かれていたモノと決別するために綴ったのだから。
今の自分を縛り付けるものが無くなった今、これから先の未来に進めて一歩ずつ前進していかなければならない。そして来年は、一つの記事を生み出すことができて心の底から喜べるような記事を書けるようにと、私はひとりで静かに決意を新たにしていくのだった。
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