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母に贈りたいのは電気ケトルさまさま

今年も後わずかと迫ってきている中、母に贈る誕生日プレゼントを電気ケトルにしようかと、私は密かに考えている。


事の発端は、一昨年の年末ごろから今年の四月まで、仕事の都合で実家に戻っていた時の話である。平日もとい日中は私を含め、母もほぼほぼ仕事で外出している。

たまに休みの日には、母が最近ハマりにハマっている「油そば」なるカップ麺を食すことがほとんどであった。その際は勿論、お湯をわかすためのポットもしくはやかんが当然必要となってくるわけである。

ちなみに実家には、おそらく2リットル以上の量が入るであろう、一般的な電気ポットが置かれている。だが自分の記憶が定かであれば、私が実家に入り浸っていた時期と、今年の8月にお盆休みで帰省していた頃には、一度も使われている形跡がなかったと思う。


これまで一家団らんで過ごしていた時には、昼夜問わず当たり前のように活躍していた電気ポットであった。だが時が経つにつれ、かつて活躍していた栄光は一体どこに消えてしまったのやらと。そう言わんばかりに、使う頻度がまったくと云っていいくらい無くなっている。

母曰く、一人になってからはほとんど使うことがないとのことだった。電気ポットでお湯を沸かすことに加えて、中身を一定の温度に保つことを含めた、一連の電気代がもったいないからだと云っている。

たしかにそうといえばそうだ。毎日ずっと家に居るわけではないうえに、水道を含めた光熱費も惜しいときたものである。ましてや世間の現状においては、収入はほぼ据え置きでなかなか右肩上がりを見せつけようともしない。

一方で物価だけは、あちらこちらで悲鳴が上がっている中、もはや拷問とも云っても過言ではないほどの上昇の幅が目立ち続けている。相次ぐ値上げが、最終的には自身の首を絞める結末が待ち構えているかもしれないのに。度重なる値上げラッシュには、一国民として芯から頭を抱えるばかりか呆れるものがあるくらいだ。


その節約対策として母は数年前から、電気を使わずにやかんでお湯を沸かすようになったのである。使用しているのは一昔前から愛用している、耐熱に優れたガラス製にして年季の入ったやかんだ。

まるで原点回帰を果たしたかのように再び使い始めたものの、たまに火を点けっぱなしのまま放置してないかと少々心配になっている。やかんの中のお湯が沸騰していることに気づかないまま、台所に戻ったらプチパニックに陥っているのではないかと思ってしまうのだ。

私は過去に実家にいた頃、母が沸かしているやかんから沸騰したお湯が吹き出てしまいそうになる場面に、運が良いのか悪いのかたびたび遭遇している。その時は慌ててダイヤルを消火の部分に回して火を消し、なんとか惨事にならずに凌ぐことができていた。

しかしながら私が半年前に実家を離れて以降、母の代わりに見守る人がいないため、少々気が気でならないことがあるのだ。やかんから沸騰したお湯が吹きこぼれては、一人大惨事状態になっているんじゃなかろうか…という懸念が。


そして話は、あと少しで師走の時期が近づいてきているところで、母の誕生日プレゼントに電気ケトルを贈ろうという話に戻る。そして現在、私が家で長らく使っているのと同じものにしようと思っている最中である。

それを使ってもらえたら、私が母に対して密かに抱えている懸念材料は、いくらか拭えるかもしれない。あとは誤った使い方をしてしまい、再びプチパニックになってしまわないことを祈るばかりである。



最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!