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担当が変わり続けた末に得たもの

営業を担当している人間が、また変更になるらしい。


これは5年以上前のとある休日、出先から自宅へと戻った際の話である。いつものように、玄関近くに設置されているポストの中身を確認すると、私宛てに一通のハガキが届いていた。

枠いっぱいに文字が書かれている裏面には、地元にいる時からお世話になっている、ある営業の担当者が変更になる旨の文言が書かれていた。一通り目を通すと、私はあることを理解したのである。

(いったいこれで何人目だろうか。いくらなんでも、ころころ変わりすぎだろ…)

そう思いながらため息をついて家に入ると、相手側の変更の通達を了承するようにしてハガキを机に置いた。


思えば地元にいた時に購入してから、とある節目を迎える時期までそこにお世話になっている間、2〜3年の間に一度のスパンで営業担当者が変わっていたのである。

因みにはじめてお世話になった方は、それを成約してから間もなく別の店舗へと異動する旨の辞令が出てしまった。商談中の期間も含めたら、おそらく半年もいなかったと思う。

その後、後任で他店から異動してきた担当者と挨拶を交わすも、程なくして昇進が決まったらしく、再び担当者が変わる運びとなってしまったのだった。


こうした一連の流れについて、はじめのうちは退きならない事情があるのだな、と丸く収めていたつもりであった。しかしながら、前述のようにコンスタンスで担当者が変更になるたびに、徐々に億劫になっていたのである。

新しくお世話になる人の顔や声色の他、それにその人の対応についてどんな感じなのかを、また一から憶えなくてはならないからだ。加えて、過去にどういった事例などがあったかを、こちらについても一から説明しなければならない。

その店舗が運営する会社のしきたりやルールが間に絡んでいるとはいえ、一ユーザーにとって度重なる担当者の変更というのは、毎度毎度受けるごとに思わずウンザリせざるを得ないものがあった。


そして今からおよそ3年前。話は、後に今の住居に移る前の出来事へと進む。私が新天地にむかうべく物件を探し回っている中、例の通達・・・・が満を持してやってきたかの如く、担当者の変更を知らせる旨のハガキが届いたのである。

一通り書かれた文言に目を通したと同時に、また人が変わると分かった日には、思わず肩を落としてしまっていた。頭の中で解っているのは、ここに至るまで担当者の変わった人数が6人ということである。

振り返れば、地元にいた時から長い間ずっと面倒を見てもらっていたが、このタイミングで一から営業担当の顔や名前などを憶えるのは、さすがに限界だと感じていた。

そしていつぞやの時と同じように、届いたハガキを机にそのまま置くと、静かにある決意をしたのであった。もう、地元で見てもらうのはやめておこう、と。



* * *



さて、これはいったいなんのはなしですかという質問に対して、答えなくてはならない。



これらは、10年以上前に私が地元で購入した愛車の、お世話になっていたディーラーでの話である。

そこでは、私が20代後半ごろに上京してからも、連休を利用して実家に帰省するついでに、点検などを通じてたびたびお世話になっていた。

しかしながらその関係は、私が今住んでいる場所に引っ越しするタイミングで解消しており、現在は都内にある最寄りのディーラーで見てもらっているところである。

今さら考えたら、自分が上京するタイミングをはじめ、早めの段階で区切りを付ける機会はいくらでもあったのに、なかなか踏ん切りがつかないまま長引いてしまっていたと思う。

人と人との繋がりを大切にしていきたいのは勿論であるが、情だけで乗り切ることは難しい場面だって、この先いくらでもあるだろう。あらゆることが雁字搦めになってもう限界などと嘆いてしまう前に、ある程度の見切りを予め張っておかなくてはならない。

ただ、地元との縁を一つ断ち切ってしまったのは、少々名残惜しいことなのかもしれない。けれど、住んでいる環境が異なるという前提がある以上、いつまでも気がかりなるものを抱えている場合ではないと、そう考えるのであった。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!