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やさしい物理講座ⅴ122「度量衡と物理学の基本的概念と相対論の再考察」
歴史を俯瞰すると「権威」が「権力」と同じように学問を抑圧するのである。そして、その「権威」は、「裸の王様」のように庶民から嘲笑の的となるのである。
誰もが「王様は裸である」ことを知りながら王様の権力に平伏して正しい意見「裸である事実」を言わないのである。
悲しいかな、物理学界における相対性理論に異議を述べる専門家はいないのである。
何故ならば、科学の分野における論争における実害が生じていないためであろう。つまり、百家争鳴・空想論の域を脱していない理由は「屁の突っ張り」にもならない学問としての体たらくのためであろう。ニュートン力学から物理学は科学の先端を走っていたが、1905年に相対性理論が発表になってから120年経過したが低迷が目立つのである。その間に、量子力学などの分野が開花している。そして、相対性理論は当時から根拠のない理論として、当時の物理学界からも認められていなかった。不思議なことに宗教と同じで相対性理論の信者がいて、物理現象を後付けで理論づけしようとしている事には驚かされる。そして、一つ不明な物理現象を「相対性理論」といえば、それで解決という結論付をしていることに驚かされる。
なぜ、不明な物理現象を探究せずに、「相対性理論」で一件落着と短絡的な答えにするのであろうか。
「なぜ」「なぜ」「なぜ」と探究しないであろうか。
これが、弊害であると言わざるを得ない。
言い換えると、このような探究により新しい科学の発見に繋がり、今以上の物理学の発展をしていたのではなかろうか。
相対性理論は物理学発展の弊害であると言っても過言ではない。
それは、歴史を俯瞰すると、「地動説」と「天動説」でも、宗教による「権威」により、科学は400年停滞したのと同じである。
その例からも物理学は「相対性理論」により、120年間、停滞しているのである。
今回は科学の基本の「き」から解説する。
皇紀2684年9月8日
さいたま市桜区
理論物理研究者 田村 司
科学の基本の「き」
定義(ていぎ)は、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を定めるよう行われる作業。語義。一般的にそれは「○○とは・・・・・である」という言い換えの形で表現される。
そして、人類の量の観念は数の観念と並行して発達してきた。それは、度量衡制度であるが、度量衡は、租税・貨幣・土地制度などの確立のため、計量に用いる長さ(度)・体積(量)・重さ(衡)の基準を定めた制度である。
計量は客観的な基準がなければ困難であり、計量の基準には時間的普遍性、空間的不変性、再現性がなければならない。
度量衡制度は、支配者が徴税の基準を定めたり、大規模な建築を行ったり、天文や気象の知識に基づく権威保持のために用いられてきた。度量衡制度は特に国内一律の徴税や金貨や銀貨などの秤量貨幣の正確な計量が主な目的であった。
しかし、いったん定着して慣習化すると強大な権力でも変更は困難となり、復古によって度量衡を統一することが繰り返された。度量衡の字義的には、度は「長さ」および「さし(ものさし)」、量は「体積」および「枡(升、ます)」、衡は「質量」および「秤(はかり)」を表している。
科学における計量基準
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