20240708 イラストエッセイ「私家版パンセ」0027 バランス感覚
前回、物事には緊張関係が必要だということをお話ししました。
そのことを踏まえたうえで、対立する事柄の中でどちらかに重心を置くべきか、自分の立ち位置を定めることも必要になってくると思います。
時代は色んな分野で振り子のように左右に揺れています。例えば、戦前は全体主義でしたけれど、戦後個人主義に振れ、今また公共性の方に振れようとしています。
これも以前にお話ししましたが、古典を学ぶ良さというのは、人間としての、あるいは人間社会の中心線みたいなものが見てくるんです。そして、今、時代は中心線からどちらに振れているのかが何となく分かるようになります。
ぼくはそういう時、アマノジャクの性質もあると思いますけれど、時代とは反対の方にやや軸足を移すようにしています。
例えば、科学万能時代において、科学的思考が客観的な事実に基づくものではなく、時代に影響されるパラダイムの一種であると言うことには意味がありました。科学万能主義があらゆる分野に忍び込む場合には、科学の限界を指摘することが重要です。
しかし人々がカルトに惹かれ、感情的になりすぎる時代に於いては、科学的思考こそが人類の叡智であると主張するべきです。
現代では、市場原理があまりにも力を持ちすぎ、人間すら商品にされています。そのような状況では、共同体原理の重要性が強調されなければなりません。共同体原理が行きすぎると、非効率や不正が増えることになるので、市場原理を取り入れることが必要になる時もある。かつての国鉄の民営化などはこの動きです。
ぼくが教師になりたての頃は、学校は完全に共同体原理の世界でした。非効率なことが旧態依然として行われていました。しかし小泉革命以降、学校に市場原理が大きく導入されると、あまりにも競争原理、能力主義がはびこりすぎて、学校という共同体の中ですら疎外という現象が起こるようになってきた。そこで今は、傷んだ共同体原理を癒す時期だと思っています。
人間は、冒険と安定、集合と離散、破壊と創造の間を振り子のように揺れています。ぼくたちは軽業師のようにバランスをとらなければなりません。振り落とされないようにするためには。
私家版パンセとは
ぼくは5年間のサラリーマン生活と、30年間の教師生活を送りました。
たくさんの人と出会い、貴重な学びと経験を得ることができました。もちろん、本からも学び続け、考え続けて来ました。
そんな生活の中で、いくつかの言葉が残りました。そんな小さな思考の断片をご紹介したいと思います。
これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。
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