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20241002 イラストエッセイ「私家版パンセ」0054 リベラルアーツについて (ジェネラリストかスペシャリストか)

 ぼくはリベラルアーツの大学に学びました。
 最近はよく聞く言葉ですけれど40年前は珍しかった。
 リベラルアーツ「自由学芸」は、日本語では教養と訳されます。哲学、文学、芸術、数学、歴史などを幅広く学び、豊かな人間になることを目的とします。
 一応、専門も決めるのですが、教養科目と専門科目の割合としては、半々ぐらいだったと思います。ぼくは川島重成先生に師事して西洋古典学(古代ギリシア、ローマの文学)を学びましたけれど、数学も科学も音楽も学びました。特に好きだったのは、大塚久雄先生の歴史の講義と、並木浩一先生の旧約聖書学、金沢正剛先生の音楽史、そして村上陽一郎先生の科学史科学哲学には夢中になりました。いずれもその分野一級の研究者ですが、その先生たちが専門外の学生にも分かりやすいように講義をして下さいました。とても贅沢な時間でした。

 ぼくが関心を持ったのはどれも役に立たない学問ばかりでした。
 ぼくは今でも役に立つ実学よりも、役に立たない学問の方が好きです。そうした学問は役には立ちませんけれど、人生を豊かにしてくれます。学びの目的って、豊かな人生を送ることだと思っています。
 役に立つ学問だけしていると、結局、社会の歯車として自分の人間性が阻害されてしまうことだってあり得るのではないでしょうか。

 「専門馬鹿」という言葉がありますが、リベラルアーツはその対極にあります。
 ぼくの学んだ大学では、専門的な勉強がしたい学生は大学院に進学しました。全学生のだいたい一割が大学院で学ぶ道を選んでいたようです。
 工学や医学のような実学(役に立つ学問)に進むにしても、教養は必要だと思います。哲学や倫理学を学ばずに科学者になるから原爆だの毒薬だのを作り出すのだし、宗教や思想についてしっかりとした基礎訓練をしないから、立派な大学の研究者がオウム真理教のようなカルト教団に入信したりする。
 専門家には、リベラルアーツを学んだ後なればよい。
 モーツアルトを楽しみ、美術館や演劇を観て歩くのが好きな技師が作った橋は、ただ工学だけを学んだ技師の造った橋よりも、きっと美しいはずである。
 学生時代にはこんな風に思っていました。
 しかし人生を歩んでゆくと、これは半分正解で、半分不正解であるということが分かるようになりました。

 というのも、リベラルアーツを学んで社会に出て、少し時間が経つと、物事を突き詰めようとしたときには、やっぱり「専門馬鹿」にはかなわないということが、分かって来るんです。
 ある時から、一つのことにずっと打ち込んできた人が本当にかっこよく見えて来るんです。そして教養はあるけれど何の技術もない自分が物足りなく思えてくる。
 前回、「運鈍根」のお話をしました。大事をなすには運と、鈍くささ、つまり馬鹿であること、そして根性が必要だと。
 リベラルアーツを学ぶと、鈍、すなわち「馬鹿」になれないんですね。でも、「馬鹿」にならなければならない場面がどうしても出てくる。
 教養のある人が「馬鹿」になるのは、大変な苦労が必要になります。

 ジェネラリストとスペシャリストと言っても良いかも知れません。
 教養のあるジェネラリストも良いのですが、スペシャリストも、ものすごくカッコいいですよね。
 例えて言うと、岡田斗司夫さんと庵野秀明さんの違いのようなものです。岡田さんの教養には圧倒されますけれど、作品を生み出す庵野監督には決してなれません。

 人生は、なかなかに難しいですね。
 それでは、もしもう一度人生をやり直せるとしたら、今度は専門家の道を歩むだろうか?
 うーん。
 やっぱり、リベラルアーツを勉強するだろうなあ。笑
 というのも、ぼくの場合人生に後悔というものがなくて、自分が一生懸命やってきたことは何一つ無駄にはならなかったって思うからなんです。

オリジナルイラスト 1980年当時の村上陽一郎先生





私家版パンセとは

 ぼくは5年間のサラリーマン生活と、30年間の教師生活を送りました。
 教師として多くの生徒と出会い、向き合う中で、たくさんのことを学ばせていただきました。
 そんな小さな学びの断片をご紹介します。
 これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。

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