【難病】脊髄空洞症だった①
最近まで難病を患っていた
唐突な告白になってしまうが
私は最近まで脊髄空洞症を患っていた。
「患っていた」という言葉を敢えて選んだのは
先日、主治医から完治したと宣言されたことによる。
脊髄空洞症とは脊髄の中に髄液の貯まりが出来てしまい
脊髄が圧迫されることで
神経の異常が起こるという病気で
国が難病に指定している。
最近、柏木由紀さんが
この病気にかかっていることを公表されたことで
ご存知の方も多いのでは無いだろうか。
参考記事
https://www.oricon.co.jp/news/2198379/full/
関心が集まっている今こそ、この難病が完治した
例として私の体験を出来る限り
書き起こしておこうと思い至った。
難病という言葉は「不治の病」を想起させるが
その定義は法律によると
①原因不明
②治療方法が確立していない
③長期の療養を必要とする
という具合で、「不治の病」という
記述は見当たらない。
むしろ、告知を受けた際、私はこの定義から
正しく向き合えば「希望はある」と読み取った。
あらかじめ伝えておきたいのは
同じ病名であっても症状には差異がある。
これから記すのは一つの例である。
この記録が同じ病を患っている方たちの
なにかの役に立てれば幸いである。
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動かない体
目覚めると見知らぬ天井があった。
辺りを見回そうとするも首が動かない。
力が入らなかった。
厳密に言うと、首を動かそうという意志が
首に伝わらないという感覚だった。
寝返りを打とう、体を起こそう、
どこでもいいので体のどこかを動かそう、
これらの意志も全て途絶えてしまい
無意味な信号となった。
体が動かないことを確認すると
急に口の中に酷い乾きを感じた。
やがて寝起きの頭がクリアになり
状況の整理が出来た。
ここは集中治療室で、私は今朝、全身麻酔を打って
脊髄空洞症の手術をしたのだった。
山のような企画書
体に異変を感じたのは2017年11月のこと。
当時、私は山のような企画書を抱えていた。
売れている同世代の放送作家は
自分よりも遥かに企画書を書いていたので
書いても書いても書き足りないと思い込んでいた。
ありがたいことに僕が書く企画書は
評価を得ることが多く
企画書の作成依頼は増え続けていた。
企画書を書くルーティンは通常業務を終えた20時頃。
企画書の作成に取り掛かり完成するのは夜明け前。
さっさと寝ればいいものだが
そこから録画していた番組のチェックをしたり
ゲームをしたりしていた。
ゲームは自分ではない誰かになれる
アクションゲームであることが重要だった。
いまの自分とは別の誰かになることが必要だった。
私はゲーム空間で得られる自由を
睡眠時間より優先して過ごしていた。
ある時、企画書を書いている最中、
くしゃみをすると電流が走るような感覚に襲われた。
その「電流」は首の右側から発生して
脳に上っていった
そして症状と向き合うことを決めた
異常なことが起きているのだと確信していたが
私は企画書を書き続けた
一晩寝れば治るという楽観的な現実逃避と
企画書を書き続けなければいけないという強迫観念が
この症状を過小評価させた。
ハウスダストアレルギーを患っている私は
頻繁にくしゃみをする体質なのだが
翌日以降も、くしゃみの度に「電流」が脳に走った。
膨大な企画書と
ネットで検索してもヒットしない謎の症状。
恐怖を感じたがそれでも私は企画書を書き続けた。
どの局だったか忘れたが、
ある局の企画書の締切日を迎え
ようやく私はこの独特すぎる体の悲鳴と
向き合うことにした。
最初の症状が出てから3週間が経っていた。
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