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海の見える街

そのお店は海のそば、古いトタン屋根の倉庫街にある。秘密基地のような狭い階段を上がると、建てつけの悪い古めかしいドア。鍵を開ける時は、えのながい大きな鍵でひと回し。まるで物語のはじまりみたいに開くドアの先には、たくさんの夢が詰まった本が並ぶ。美しいポスター、おしゃれな写真集。物語の隙間に挟み込まれる挿絵のようなお店は、ちいさいけれど愛おしい。すみずみまで愛に満たされた、美しい本屋さん。そんな場所で、働くことになった。

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「ここで働かせてください!」

まるで気分はジブリ映画、そんな気持ちで応募したお店。ずっと、本屋さんで働くことに憧れていた。といってもチェーン店ではなく、個人で経営するちいさなお店で。大人になって知ったのは、大体そういうお店は人手が足りていてバイトを募集しないこと。こんなリアル知りたくなかったなあと思いつつ、書店を巡る日々。そんな毎日にふと舞い込んだのが、瀬戸内海のすぐそばにあるこのお店だ。

東京で長らく孤独を味わい、挫折を経験して帰ってきた。夢も希望も失いかけた毎日に、ふと差し込んだ鮮やかな光。チャンスの神様には前髪しかないらしい。逃すわけにはいかない!と急いで捕まえた求人だった。

緊張してなんとか面接にこぎつけると、キャップを被った優しそうな店主さんが迎えてくれた。まるで古くから知るようにあたたかい人柄に癒されながら、話をする。「なんかこんな感じで、こんな風で…」と説明してくれるその曖昧さがまた嬉しくて、わたしの求めた本屋さんだ!とひとり興奮する。

全人類の夢のひとつは、古くて美しい書店でお店番をすることだと思う。穏やかな風が吹く店で、時々猫を撫でたりする日々。そんな日々が、無事に叶うことになった。



緊張しながら迎えた初出勤。早速、「30分遅れてきて〜」と連絡のある店主さん。そのゆるさにまた癒されながら、倉庫街を歩く。港のすぐそば、潮風を体いっぱいに浴びる。おしゃれスポットとして有名な倉庫街は、おしゃれなお店がいっぱいだ。キッシュ屋さん、雑貨屋さん、パン屋さん。探索しながら見つける新しい発見に胸をいくつも躍らせる。緑の葉が揺れ、花が咲くその場所は美しい。

お店に向かうと、店主さんが早速鍵の開け方を教えてくれる。えのながい鍵はファンタジーの世界観。ガチャガチャ二人で開けつつ、お店を見渡す。絵本に雑貨、写真集にポストカード。店主さんのセレクトはわたしのドストライクで、まるで恋したように浮かれてしまう。

「今日はギャラリーの手伝いしてもらえるかな?」

そう言われ、検品を任された。たくさんあるグッズを一つ一つチェックして値段を貼るお仕事だ。

「ぼく、ちょっと出てくるから、夕方までやっといてくれるかなあ?」

そう聞かれ、大丈夫です!と元気よく答える。店主さんは、いつでも休憩行っていいし、好きなように食べて、好きなようにしててね、終わらなくても辞めさせたりしないからね!と笑って出かけてゆく。そのやさしさに、全身から幸せが込み上げる。

早速腕まくりをして、窓を開け放つ。蔦が覆うその窓からは、瀬戸内海がよく見える。海風が頬をなで、甘くてしょっぱい香りが流れ込んでくる。遠くで汽笛の音がして、やさしい音楽が微かに聞こえる。胸いっぱいに海を吸い込んで、この街の美しさを全身で味わう。

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ああ、この街が、この店が好きだ。

からだ中が熱くなるような嬉しさと、それでいてひやっとするような冷たさの愛。情熱と冷静のあいだで、わたしはただ"恋"をしている。

潮風はわたしをやさしく抱きしめ、文字たちは踊り、絵画は世界を彩る。白壁に差し込む光は美しく、わたしの影を映す。音楽をかけなくても、この世界の音で耳はいっぱいだ。船の汽笛、がたんごとんという電車、カフェに向かう女の子たちの笑い声、波音。珈琲の香りが漂ってきて海の香りと混じるから、わたしの走馬灯はきっともう美しい。

夕方まで働き、車の帰り道。街は夕暮れに沈み、そのマジックアワーが美しい。瞬き始める街、街灯の灯り、港はイルミネーションに彩られている。ぽつぽつとつき始めるマンションの明かりは、ひとつひとつに物語が宿っている。にんげんという生き物が、息をしていることの尊さに泣きそうになる。

生きていてよかった、シンプルにそう思った。

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これから先、どうなるかはまだわからない。わたしのポンコツさがバレないといいし、なんとかうまく誤魔化してやっていければなと思っている。できることを頑張って、書店にたくさんお客さんを呼びたい。あのアーティストさんに展示をしてほしい、アートブックフェアに出張したい、夢は広がるばかりだ。

「まず、ツジさん展示してみたら?」

店主さんはそう言って笑ってくれる。わたしが届けられる物語が、言葉があるのなら。わたしはまだきっとこの世界で生きてゆける。

愛憎入り混じるこの街が美しいと思えた今日は、きっとわたしの新しい記念日だ。この街で生きてゆく。わたしはちいさくうなずいて、走り出す。未来へ、明日へ。

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