ボカロPの私が、ボカロ文化が大嫌いな理由
【閲覧注意!極度にセンシティブな表現が含まれます。体調が悪い人は読むのをお控えください】
最初に警告しておきますが、「ボカロ好き」は「絶対に」この記事を読まないでください。心身に不調をきたし、激しく後悔し、感情がどこまでもネガティブな方向に向かいます。この記事を読んで、読者が何らかの損害を被ったとしても、私は何ら責任を負わないものとします。あらかじめご了承ください。
(2024年9月29日 一部に誤解を招く表現があったため、表現を修正いたしました)
EDMとヒップホップのプロデューサーである私は、以前からボカロPを自称しています。
ただし、ボカロ文化が好きだから、ということではではありません。
私がヤマハ社のVOCALOIDを使用するのは、単に道具、つまり人間のボーカルの代わりになるからでしかありません。
私はボカロ「文化」が生理的に無理です。
では、自称ボカロPの私が、なぜボカロ「文化」をそこまで憎んでいるのか、その理由をお話します。
この記事を通して、日本人にもマイノリティ(少数派)が存在し、肩身の狭い思いをしていることを改めて確認するきっかけになればと思います。
卑猥すぎるから
(あまりにも不快なので、元動画を載せたくありません。代わりにうさぎの癒し動画を貼っています)
最近流行りの「DECO*27 - ラビットホール」というボカロ曲があります。
どんな曲かなと思い、ミュージックビデオを再生するのですが、いきなり「子どもに見せられない大人向けの表現」が登場するので、2秒で止めました。
そのような動画が普通にYouTubeで観れるのが異常です。控えめに言って吐き気を催します。
性的なものを見たくて見た人はともかく、見たくない人はあれを観てどう思うのでしょうか。
あの曲を、今の何も知らない小中学生が、好き好んで再生していると考えると、世も末だなと思うしかありません。
肝心の音楽も、パチスロ屋のように騒がしく、聴けたものではありません。
陰キャな歌詞だから(陰鬱すぎる)
世の大半のボカロ曲が、絶望や不安、自殺や憎しみを歌っています。
このような曲を聴くと、心が不安に取り憑かれ、胸騒ぎや、自己憐憫の妄想に駆り立てられます。
音楽から元気をもらうために聴いているのに、かえって元気を奪われ、やる気がなくなります。
このような曲を好きになることはできません。
サイケデリックすぎるから
ラビットホールもそうですが、特にボカロは、パチスロ屋の店内のような、極端に騒がしい曲が多すぎます。
トランスやテックコアの影響なのか、脳をグチャグチャのミンチにするような電子音が、不規則に鳴っています。
LSDを服用したときの幻覚を再現しているのでしょうか?
PVや歌詞も闇を感じさせるようなもので、「カッコいい・憧れる・後世に伝えたい」などとは思えません。
むしろ、私に子どもがいたら、それらを危険ドラッグとみなして取り上げて、焼却していたでしょう。
掴みどころのない歌詞だから
この曲は、まくしたてるように早口なのに、何が伝えたいのか分かりません。
裏で鳴ったているピアノやドラムも忙しく、聴いただけで落ち着かなくなります。
この曲を、ある時期一日中聴かされていたので、本当に地獄でした。
当時はChatGPTもなかったのに、人力とDAWソフトだけでこのような曲がかけたことは、貴重な才能だと思います。
幼少期にボカロ好きの人から虐待されたから
私には5つ上の姉がいました。
私がまだ子どもだった頃、姉はニコニコ動画でボカロ曲ばかりを聴いていました。
特に聴いていたのは、ハチ(米津玄師)のオカルト的な曲ばかりでした。
それを聴いてから、いつも不機嫌そうになり、ひどく凶暴になりました。
私の行動を見ては、いつも欠点や過ちを責め立て、謝罪しなければ暴力や脅迫、風呂に私の頭を沈めるなどの行為をしていました。
私ガ近くにいるだけで、強制的にタダ働きや、身の丈に合わない(高校の)勉強をさせられることもありました。
両親に話しても、姉が得意の話術で「良い子」だと洗脳されていたので、信じてくれませんでした。
それが、私がボカロ文化を極度に憎むようになった最初のきっかけになったことは、言うまでもありません。
この出来事が、私を西洋音楽(EDMとヒップホップ)にのめり込ませ、DAWソフトで作曲するに至ったので、ある意味姉には感謝しています。
(私に音楽制作を決心させるきっかけになったAviciiです)
何人ものボカロ文化好きから嫌な思いをさせられたから
高校生にもなれば、姉も東京に引っ越したので、さすがにボカロ文化を憎むのはやめようという考えになります。
そこで、入学した高校で、積極的にボカロ文化好きと交流してみることにしました。
私が会ったのは、ねんどろいどミクと一緒に各地の名所を撮影し、ブログに投稿するボカロ文化ヲタクでした。
アイマスや乗り物も好きだったので、話が弾みますが、仲良くなるごとに、その人が感情的になっていきました。
私に「相談するな」とキレたり、泣き出したりと、情緒不安定だったので、縁を切りました。
その人の友人になったことを後悔しました。
社会人になってからは、ボカロ文化好きのフランス人とも交流しましたが、彼らも精神的に不安定で、彼のゲイの友人から振り回されていました。
ネットの世界でも、ある有名なボカロPのグループから理由もわからず追放されたり、界隈曲で有名なある人から私の曲の悪口を言われたりしたので、元々嫌いだったボカロ文化がさらに嫌いになりました。
そして、ボカロユニット「ツユ」のぷすの逮捕が決定打となりました。
これらの出来事が、私に「ボカロ文化信者とは、極度に根暗で、情緒不安定で、攻撃的で、好色で、客観的視点に乏しい者である。ボカロ文化を信仰するのは精神的に危険である」という考えを植え付けました。
オカルトすぎる
ボカロ文化の曲には、単に「気持ち悪い」という一言だけでは説明がつきません。
上記の動画のように、本当に悪魔崇拝的な表現に溢れていて、見ただけで地獄に堕ちたかのような感覚にさせられます。
それは決して私の主観や妄想などではなく、実際にイルミナティやフリーメイソン・神社や密教・占星術や魔法など、悪魔的思想が強すぎるオカルト要素がふんだんに盛り込まれていて、聴いただけで悪魔に取り憑かれたようになります。
そういう曲を聴いた人が性格が悪くなるのも、無理はありません。彼らは実際に悪魔に取り憑かれているのだと思います。
これらの要素があるので、単なる好みの問題では片付けられないのです。
生理的に無理です。
ボカロ文化アレルギー当事者の現状
私のようなボカロ文化アレルギーは、アメリカやロシア等で暮らす分には差し支えありません。むしろ居心地がいいと思います。
しかし、ごく一般的な日本人のZ世代として生まれ、周りの同世代がほぼ全員ボカロ文化の音楽を聴いているという現状は、20代前半の私にとって火と硫黄の燃える地獄としか言えません。
私と両親は金持ちではないので、海外に引っ越すのも容易ではありません。
しかも、私に近寄ってくる日本好きの外国人は、もれなくボカロ文化や米津玄師が好きなので、それらの事実がさらに私を苦しめます。
フランス人のクリスチャンからですら「私は初音ミクを愛しています」と日本語で言われます。
こういうことを言うと、「じゃあ、文句を言う暇があったら、お前がボカロ曲を作れよ」という意見があると思われます。
その人に伝えますが、私はボカロ曲を自分で作ったうえで言っています。もちろんヤマハとクリプトンのものです。
https://on.soundcloud.com/di1kn
私が自分の理想とするボカロ曲を作っている以上、ただのリスナー以上にボカロ曲に文句を言う権利があるのではないでしょうか。
これらの理由から、私はボカロ文化が大嫌いです。
どんなに「ボカロ文化を好きになれ」と言われても、私は断固としてお断りします。
たとえ日本の法律が変わって、ボカロ文化が嫌いという理由で死刑になっても、私は自分の命を捨てる方を選びます。
最後に、無名ミュージシャンの私のこんな記事など、おそらく誰も読まないと思いますが、念の為書いておきます。もし私を批判したいのであれば、「真実に基づき、無感情で理論的に、強い説得力や信憑性をもつロジックで」やってください。どう考えても正しい内容であれば、私も受け入れます。
どこぞの工作員みたいに、思考停止で「妄想」「陰謀論」「障害者」というイチャモンを召喚したり、「サンプル数」や「周波数」「位相」などの専門用語を並び立てる平蔵論法は、客観的に無意味であるとご了承ください。
この記事が日本の全てのボカロ文化嫌いの救いとなりましたら幸いです。
私の人生を滅茶苦茶にしたボカロ文化を、心から憎み、未来ある子どもたちがこれ以上ボカロ文化から悪影響を受けないように心からお祈りいたします。
(この記事からインスピレーションを受けて書きました。著者のお子さまが、校内で流行していた米津玄師に中毒になったことで、性格が悪化し、学校での治安も悪化してしまいますが、あることを機に改善していく体験記です)