見えなかった子どもたち
見えなかった子どもたちとは?
児童虐待を受けながらも、その虐待を発見されないまま18歳を超え、社会的養護に繋がることなく、家庭の中で孤立したまま生き残った虐待サバイバーのことです(一時保護に繋がるも、それ以後の社会的養護に繋がらなかった者を含む)。
周囲に虐待を発見してもらえなかったことから、その虐待はまるで無かったかのように「見えない存在」として放置された子どもたちのことを、私たちは「見えなかった子どもたち」と呼んでいます。
「見えなかった」と過去形で表現しているように、その対象者は成人です。
虐待死してしまった子どもたち
児童虐待というと、「親の手によって子どもが殺されてしまう」というような最悪の事件となったとき、社会の注目が集まります。虐待死は、虐待の中でも最も避けなければならないことは、言うまでもありません。
例えば、2018年、目黒区で亡くなった船戸優愛ちゃん、記憶にある方も多いのではないでしょうか。結愛ちゃんが書き残したノートが発見されたこともあって、大きく報道されました。
幼い命の叫び、国を動かす 虐待死で緊急対策 - 日本経済新聞 (nikkei.com)
近所の方が児童相談所へ通報してくれたり、病院からの通報もあって、何度も何度も児童相談所の介入がありました。それでも、助けられなかった命です。児童相談所がしっかり保護をしてくれていたなら、助かった命です。
つまり、船戸優愛ちゃんは、まさに「見えなかった子どもたち」となる道を進まされていたのです。
現在、1週間に1人の子どもが虐待死で亡くなっています。この子どもたちは保護されていたら、助かった命です。
虐待を発見されて、児童相談所に繋がったのに、なぜ保護されないのか...?
児童相談所に通報されると、その後どうなるの?
児童相談所は、「虐待かも」と通報を受けると、通報から48時間以内に子どもの安全を確認することになっています。親元から離す必要があると判断された場合、児童相談所の中の「一時保護所」で保護されることになります。一時保護所での保護期間は、原則2か月以内です。その保護期間において、どのような虐待が行われてきたのか、家庭にどんな問題があるのかなどの検討がされていきます。そして、家庭に帰される子どもと、児童養護施設や里親などの社会的養護施設に行く子どもとに分かれることになります。
この時、虐待の程度の酷い子どもが一時保護され、その中でも特に酷い子どもが社会的養護にて保護される、ということがいつでも適切に判断されていたらまだ良いのですが、現状は全くそうではありません。
そうではないから、船戸優愛ちゃんのように、児童相談所が介入しながらも亡くなってしまう命が今も後を絶たないのです。
児童虐待が発見される子どもは、年間20万人以上います。
その内、社会的養護に至る子どもは、わずか2%です。
その他の子どもは、虐待が続く自宅に帰されることになります。
なぜ、「虐待が続く」と言えるのか…
それは、虐待をしてしまう親は、色々な問題を複雑に抱えています。病気や障害が影響しているケースも多いです。子ども側が障害を抱えていて、親が対応し切れずに困り果てているケースも多いです。だから、自宅へ子どもを帰すのであれば、子どもに対しても、親に対しても、長期的なサポートや寄り添った支援が必要です。しかし、現在の児童相談所ではそこまでの体制はできていません。
虐待は子ども時代で終わらない
まず、皆さんに知って頂きたいことは、児童虐待を受けた子どもは、皆、社会的養護に行き着くのではないということです。もちろん、社会的養護に行き着けば解決するということではありません。そこでも、様々な問題や課題があります。ただ、社会的養護に行き着かないまま虐待を受けている子どもの存在も知って欲しいのです。見えなかったことにして欲しくないのです。
それから、更に知って欲しいことは、「虐待は子ども時代で終わらない」ということです。大人になれば、親元を離れて自由に生きていけるでしょう、と言われることがよくあります。
でも、被害者たちの実際は、そんな簡単な話では無くて、多くの方は「大人になってからが本当の地獄の始まりだった」という表現の仕方をされます。私も、そう体感しています。
では、なぜ大人になってから、更に大変な道がスタートするのか...
それは、3つの格差があるからです。
立ちはだかる3つの格差
安心の格差
見えなかった子どもたちは、心の居場所を知らないまま成長していきます。「心の居場所」とは、安心できる場所、支えとなるもののことです。
例えば、「家」には、必ずしっかりとした「土台」がありますよね。だから、少しの雨や風くらいではびくともしません。そのことを私たちは知っているので、安心して住んでいられます。
「心の居場所」とは、この土台のことです。
子どもにとって、本来、親が安心できる存在であり、いつでも支えてくれる安全な場所であるからこそ、それを支えにして、外の世界に堂々と出ていかれます。ちょっとつまずくようなことがあっても、親が守ってくれると無意識化で子どもたちは分かっています。でも、虐待を受けて来た子どもたちは、生まれた時からこれが無いのです。
生まれたときから安心を感じられないまま生きていたら、どうなってしまうのかというと、見えなかった子どもたちの多くは、「虐待後遺症」と言われる様々な精神疾患、発達障害、愛着障害などの病気・障害を抱えていきます。例えば、複雑性PTSD、解離性同一性人格障害、境界性人格障害、愛着障害、不安障害、摂食障害、重度の鬱病などです。
これらの病気を抱え込んでいると、どのようになるかというと、人とのコミュニケーションが恐ろしい程に取れなくなります。「コミュ障」なんて言葉が気軽に使われますが、全然気軽な感じではなく、常に相手を信用していない、信用できないのです。
一方で、相手との距離感を掴むことが難しく、相手に近付き過ぎて関係を築けなくなってしまうことも頻繁にあります。
また、感情のコントロールが難しく、自分の大切なところに相手が触れてきたと感じた時に、激しく怒りをぶつけてしまったり、その怒りや不安が自分に向かってしまうこともあります。
「トラウマ」という言葉はよく使われるようになりましたが、トラウマとは、過去の思い出したくもない様な体験のことです。虐待被害者にとってのトラウマとは、「命の危険を脅かされるような体験」です。その体験がフラッシュバックして現れます。「フラッシュバック」とは、「思い出す」とは全く違うのです。再体験なのです。過去にあった、ではなくて、今まさに虐待を受けている、殴られる、熱湯を浴びせられる、突き落とされる、ということが起こっていると錯覚してしまうのです。錯覚であっても、本人は錯覚とは思えないくらい、再体験しています。大人になった今、子どもの頃にされてきたことがどんなに耐え難い事だったか、もう全てを知っています。知っている今、またそれを再体験する、これはもう言葉にはならないほどに恐恐ろしさを伴います。この恐ろしさの連続の中で、絶望して自死を選んでいく者もいます。そのくらいに苦しい事なのです。
希望の格差
人は、安心・安全という根底があって、それがちゃんと満たされているからこそ、こんな風になりたい、こんなことをやってみたい、という希望や夢を持つことができるのです。
殆どの方にとっては、「安心」が無意識化に存在しているので、そのことに気付かないかも知れないのですが、安心が無いままでは希望を持つことは難しいのです。また、「自己肯定感」という言葉も流行りましたが、虐待被害者の自己肯定感は、低いという言葉では到底足りない、恐ろしい程低く、自己蔑視の塊です。自分なんて生きててはいけない、生きてるだけで迷惑な存在、そんな感覚を持ってしまい、希死念慮に囚われてしまっている方も多くいます。
だから、こんな風になりたい、こんなことをやってみたいと、想像したり、思い描くことが難しい状態あります。また、長期的な目標を持ち難い、という特徴もあります。
経済の格差
どんな状況であろうと、頼れる親も親族もいません。
また、先の2つの格差を抱えている状態でここに挑まなければならず、職に定着したり継続することすら難しいのです。頼れる人もいない、職にも就き難い、となると、生活保護や障害年金に頼らざる負えなくなったり、ホームレスになったり、夜の世界に居場所を見つけたり、良くないと分かっていながらも裏のような世界に足を踏み入れてしまう…というようなことが普通に起こっています。
ただ、だからと言って、経済の格差が解消されるだけでは問題は解決しません。見えなかった子どもたちの悲痛な叫びを抑えるためには、まず安心の格差を埋めることが何よりも必要です。安心の格差を埋めていくことによって、希望も生まれ、延いては経済格差も比例するように埋めていくことができます。
見えなかった子どもたちに必要な支援
① 社会的養護施設等の退所者に対する支援の対象に含むこと
退所者に対して、アフターケア事業や身元保証人確保対策事業という支援があります。
【アフターケア事業】
住居、家庭等の生活問題の相談
就労と生活の両立に関する問題の相談
退所者が気軽に集まれる場の提供
自助グループ活動
就業支援、etc
【身元保証人確保対策事業】
就職やアパート等を賃借する際の身元保証人の確保(*
(* 施設長等が身元保証人となる場合の損害保険契約を全国社会福祉協議会が契約者として締結し、その保険料に対して国等が補助する制度。
社会的養護施設等退所者に対して、主に上記のような支援対策が取られています。これは、施設退所後に、自己の力のみでは非常に生き難く、支えが必要であることが理解されているからこその国を挙げての支援対策です。
自己の力のみでの生き難さは、見えなかった子どもたちも同じです。育った家はあっても、そこは虐待が行われていた家であり、親です。安心していられる場所でも、頼れる存在でもありません。また、就労、住居、保証人等の問題があるために、虐待をする親から逃げられないという者もいます。
さらに、見えなかった子どもたちは、個々にそれぞれの場所で孤独に耐えています。だから、集まれる場所や自助グループができることで、同じ苦しみを知る仲間と繋がることも大切なことです。
② カウンセリング治療費免除制度の導入
先にも述べたように、見えなかった子どもたちは、虐待後遺症を抱えています。その代表とも言える複雑性PTSDをはじめとする後遺症には、カウンセリングやトラウマ治療が必要となります。しかし、トラウマ治療が可能な医師や心理士は非常に少なく、また、その治療費は医療保険適用外となっています。そもそも、トラウマ治療のできる専門家を増やして頂かなければなりませんが、トラウマ治療に限らず、カウンセリングは医療保険適用外治療である為、1時間当たり、5,000~10,000円程度の料金が掛かってしまいます。当然、1、2回治療を受けただけで回復するようなものではなく、個人差はあるものの数十回以上に渡る治療が必要です。
見えなかった子どもたちは、3つの格差を抱えています。そのため、カウンセリングやトラウマ治療に掛かる費用を負担することは、生活を圧迫することに直結してしまうため、希望通りに治療を続けることが非常に難しい状況にあります。しかし、治療を進めないことには、病気の回復も進まず、いつまで経っても耐え難い苦しいから抜け出せないのです。
後遺症を回復させるためには、最低でもカウンセリングの補助金制度、望ましくは免除制度が整うことだと考えています。
支援制度に支えられながら、カウンセリングにより虐待後遺症を回復させていくことで、やっと自分の道を歩き始めるスタート地点に立てるのです。
最後に
大きな震災が起こったとき、当事者の皆様は「風化させないで」と願います。一方、見えなかった子どもたちは、全国各地にたくさん散らばっているにもかかわらず、その存在さえ知られることなく、幼少期から続いたあの耐え難い虐待の日々も、「無かったこと」「見えなかったこと」とされてしまっています。誰も知らない、誰にも分かってもらえない、そのことが苦しさを一層大きくさせます。
だから、まずは、見えなかった子どもたちの存在を知ってください。
見えなかった子どもたちが、誰にも助けてもらえることなく、一人虐待に耐え、孤独に生き抜いていることを知ってください。
知って頂けたなら、支援制度やカウンセリング・トラウマ治療の必要性もきっとわかって頂けるのではないでしょうか。
見えなかった子どもたちは、虐待死してしまったあの子どもたちが、もし生き残ることができていたら、その後に待ち受けていたであろう未来の姿です。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
見えなかった子どもたちが、「生まれてきて良かった!」と思える日の実現を目指して、これからも進み続けます。
丘咲 つぐみ
一般社団法人Onara
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