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一言も英語が喋れなかったのに留学プログラムに挑戦した17歳の夏

「つまらないなぁ。なんで高校なんか行ってるんだろう。」
高校2年生の僕は毎日空を眺めそんな事を思っていました。

学校でいじめられていたわけでも、人間関係が上手くいってなかったわけでもありませんが、どこか学校全体の雰囲気に合わなくて悶々とした日々を過ごしていました。

当時の僕にとって高校生活が人生のすべて。高校生活がつまらなかった僕にとって、人生もつまらないものでした。

刺激のない毎日をただ繰り返しているだけだった高2の春。
「高校生外交官という留学プログラムの募集が始まったそうだ。チラシを教室に貼っておくから興味のあるものは見ておくように」
ホームルームで何気なく紹介されたこのプログラムが僕の人生の大きな転機となります。

そのチラシに書かれていたのは
・3週間のアメリカ留学プログラム
・参加費無料
・参加人数は全国の高校生40人
との文字。

いつもなら何気なく見過ごしているだろう一枚のチラシ。
しかし、なぜかその時だけは掲示板の前で釘付けになりました。

アメリカに行けることも魅力的だけれど、当時の僕は「全国の高校生40人」と共に3週間を過ごすことが出来る点に惹かれました。
「ここに行けば何か変わるかもしれない」

藁にも縋る思いで応募書類を書き上げました。
留学経験も英語系の資格試験を受けたこともゼロ。
自慢できる武器は全くない状態でしたが、奇跡的に書類審査の一次試験・東京でのグループワーク&英語試験&面接を行った二次試験をクリアし、アメリカに行かせてもらうこととなりました。

後に知ったことが二つ。
一つはこのプログラムの倍率が凄まじいこと。全国から多数の応募があり、この年も倍率は10倍以上だったようです。
そしてもう一つは、二次試験であった英語面接で大きな言い間違いをしていたこと。
「今日の気分はどう?」
という質問に、移動中必死に覚えた
「新幹線で名古屋から来ました」というアンサーをしていたようです(笑)

それでも、二次試験のグループワークでの姿や試験後に他の受験者とコミュニケーションを取っている姿を見て頂いていたのか。
(二次試験は男女別5人グループに分かれてのグループワークが主だったので、試験中は女子チームと喋ることができず、せっかく東京まで来たのだからとグループワーク終了後に男子何人かで全テーブルを回るという遊びをしていました(笑))
僕は何とかアメリカ行きのチケットを手に入れることができました。

そこから数か月の準備期間を経て、3週間の渡米へ。
2日間日本での研修をして、前半戦は観光地訪問や国連など政府機関の視察。後半戦はアメリカで待っている現地の高校生と全員がペアを作って、10日間の交換留学、そして帰国し振り返りをして解散。

濃密すぎる3週間は嵐のように過ぎ去っていきました。

嬉しいことも、楽しいことも、悔しいことも。
様々な感情が芽生えた3週間でしたが、僕にとっていちばん大きかったのは「自分が見ている世界の狭さ」に気づけたことです。

17歳の自分にとって、高校生活は人生の全てでした。
そんな高校生活がつまらなかった僕は、人生もつまらないものでした。

しかし、プログラムに参加して
「高校生活=人生」ではないと実感しました。

渡米前の研修で、メンバー全員が円になり一人一人自分の思いの丈を話すという時間が設けられました。

そこで、
「つまらない高校生活、つまらない日々。そんな日々を変えたくてここに来ました。」
そう仲間たちに打ち明けました。

帰国後、日記などを書いていたノートにみんなからメッセージを書いてもらったのですが、その中には
「私たちが3週間で最高のクラスになれたね」と書いてくれたメンバーがいました。

今置かれている環境に落ち込んで下を向いているだけじゃだめだ。
顔を上げれば、また違う世界が見えてくる。

同じクラスのやつのように毎日会うことは出来ないけれど、全国・そして海の向こうで日々同じように生きている仲間がいる。
そう思うだけで少し前向きになれるようになりました。

そして、アメリカで触れて感じた文化の違いなども17歳の僕にとっては大きな学びとなりました。

その後、「学校だけじゃない世界に飛び込んでみたい!」と学外のイベントに参加したり、マイプロジェクトという探求学習に挑戦してみたりもしました。


悶々とした日々に少しずつ希望の光が差し込んできました。

ちょっとした勇気を出して、今と少し違う世界に飛び込むことが怖さからワクワクに変わっていきました。

大学の学部選択では、渡米までの準備期間やアメリカでの3週間で「実は日本のことを全然知らないのではないか?」と感じ、まちづくりや課題解決を学べる学部を選びました。

また、大学の垣根を超えて学生が集まるインカレサークルに所属し3年間活動しました。
性別も大学も学部も違う仲間と過ごした3年間は今でも宝物です。
これも、大学という世界からちょっと飛び出す自分なりの挑戦でした。

今振り返ると、そのすべてが高校時代に #あの選択をしたから だと思います。

「英語が喋れないけど大丈夫かな…」
「落ちたらショックだな…」
良い意味で後先を考えずに、目の前に現れたチャンスに飛び込めた17歳の自分に負けないように。今日も生きていきます。


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三輪浩朔(みわこうさく)@コーヒーショップLaughter(京都)
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