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【エッセイ】「負けず嫌い」になれなかった大学受験の思い出

僕は今、京都でLaughterというコーヒーショップを運営しています。

先日、大阪に遊びに行った際の帰り道。
阪急電車で向かいに座った女子高生二人が必死に受験勉強をしていました。

「東京の大学受けるか迷ってるんだよね」
「受験日にインフルとかに掛かったら最悪だよね」
受験生ならではの会話を懐かしく聞いていました。

ふと振り返ると、大学合格を目指す受験生だったのはもう10年前。

27年間の人生で様々なことがありましたが、「大学受験」は頑張れなかったことの一つなんです。それは、良い大学に受かったとか、センター試験の点数がどうだったということではなく、受験に向かう「姿勢」のお話。

中学を卒業した僕は、やんわりと「大学に行くんやろうな」との気持ちで地元の高校に進みました。普通科の進学校だったので、卒業後の進路はほぼ100%大学です。
2年生になると段々と受験の話題が出てきます。模試を受ける回数が増え始め、周りの皆は塾に通い、進路指導が熱を帯び始めます。
しかし、その熱が僕に伝わることはありませんでした。塾に通うこともなく、普段の勉強はあくまで自己流。でも、なんだかやる気が出ない。
近くの図書館に足を運んでは、自習室で勉強では無くひたすら図書館の本を読んでいました。

3年生になると受験勉強はさらに本格化。皆志望校を決め、そこに向けて必死に勉強していましたが、どうにもやる気が出ない。
3年生夏は必ず一校はオープンキャンパスに行くことが課題となっていましたが、「オープンキャンパスなんてどこも良いところ見せるだけだろう」と適当な近場の大学に行ったことにして提出しました。

受験が近づくにつれて、皆はどんどん勉強時間が増えて模試の結果に一喜一憂するようになりますが、18歳の僕にその熱が生まれることはなく。
単純に勉強が嫌いだったわけでも、大学に行きたくなかったわけでもなく。
その理由は今でも分かりませんが受験勉強への「やる気スイッチ」が入ることはありませんでした。

ただ、今になって思うのは受験勉強に対して「負けず嫌い」になれなかったこと。そして、その中にも二つ要素があると思っています。

一つは、周りと比べて「負けず嫌い」になれなかったこと。
友人たちが必死に勉強して点数を上げていく姿を見て、「自分も頑張らなきゃ!」とか「悔しい、あいつには負けられない」との気持ちが芽生えることはありませんでした。自分も受験生なのに「皆頑張っているなぁ」とどこか他人事のように見つめていました。

まぁ、これは一般的な「負けず嫌い」ですよね。

でも、もう一つ大事な負けず嫌いがあると思うのです。それが「自分に負けたくない」という「負けず嫌い」
「こんなとこで終わって良いのか」「自分はもっと出来るはずだ」
目標に到達できていない自分に向けた「負けず嫌い」が実は大事なんじゃないかと最近思っています。

例えば、受験なら全員が同じ条件で試験を受け点数が出るというかなり公平なシステムですが、社会に出ると中々そうはいきません。
試験に例えるなら、突如試験が決まったり、試験に年齢制限があってそもそも試験を受けられなかったり、試験の科目が突然変わったり。とにかく自分ではどうにもならない社会の流れや運があるものです。

それに、ネットを見れば自分よりもすごい人がすぐ見つかってしまう時代。他人と比べることは大事かもしれませんが、それが時に自分を苦しめてしまう時代でもある気がしています。
だからこそ、自分に負けないという「負けず嫌い」が大切なんじゃないかと。

ちなみに、いつ辞めても誰からも怒られないであろうnoteの投稿を曲がりなりにも1年半ほど続けていられるのは、間違いなく「書くを仕事にしたい」とのnoteを書き始めたときの自分の気持ちに負けたくないことが大きいです。

何かの才能に長けた人を紹介する際、「負けず嫌い」は良く取り上げられるポイントです。しかしそれは、単純に人と比べて負けたくないだけでなく、過去の自分に負けたくないという負けず嫌いの部分もとっても大事なんじゃないかと思った大阪からの帰り道でした。





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三輪浩朔(みわこうさく)@コーヒーショップLaughter(京都)
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