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もらうために生きてるわけじゃない。

きのうの夜中、またあたらしい感覚を知った。

カウンセリングマインドをつかった聴き方や人の成長にかかわる教育・共育について学ぶ講座に参加しだしてから、気づいた感覚があった。

自分が感じている不安や恐れを身体の感覚で表現してみた時。

学校の床に体育座りしてるみたいな感じがするんだけど、ふるふるしてて、輪郭が波打ってるみたいな感じがして、地面に座っていてもぺたーっとついてない感じ。ほんとうに安心してここにいるってことができない、ふるふるして不安な感じ。

そんなふうに感じていた。

そして最近ずっと「受け容れる」ということが心のテーマになりながら過ごしていたわけだけど。

きのうの夜
ちょっと最近仕入れた自分のなかにふたりの人間を感じて対話してみるワークを試みていた時に(毎日真剣にあれこれ試す笑)

はっとした。

だれにみとめてもらわなくてもいい
笑わなくてもいい
真顔でいい
そうほんとうに思って、かかとがぺたーっと床について
重心がずんと下がって、
こんなにたしかに、立てるんだ

そんな感覚がした。

「ふるふる」を思い出して、これが、あのときぺたーっとできないって言った時に、「ぺたー」だと思った。

この安心には、誰が認めてくれる、好きでいてくれるのも叶わない。

わたしがみとめている。
わたしが受け容れている。
わたしが愛している。

それが一番本物なんだ。

たぶんそれは、じぶんの心で「ある」と感じることしかほんとうに「ある」とはたしかめられないからで、誰がどんなに認めてるよ、良いと思うよと言ったって、最後は自分がそうだと思わなければそうだとは感じられないのからもわかると思う。

そして今日になって、
またはっとしてノートに書いた。


わたしは、わたしが創造するために生まれてきたんだ!
”もらうこと”は人生の甘いよろこびだけど
もらうために生まれてきたわけではない。

生まれてはじめはみんな無力だから

認められる
愛される
大切にされる

なにかを「もらう」ことで生きていくわけだけど、今は。

ああそうだ、もらうために、生きているわけじゃない。
もらうために生まれてきたわけじゃない。
わたしが感じたいことを感じるために生まれてきたんだ。

たくさん、たくさん、人からも自然からも、この世界からもらうものはあって、それはとっても大切にありがとうで受け取りたいけど
わたしも、創造することができるし、そのために生きている。

自分にどれだけパワーがあるか自覚していくことが、大人になるってことだなあなんて思う。


人が最も恐れるのは、自分の無力さではなく、自分自身のパワーである

って名言があったな。



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なつき
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