あそこで許せたら、ハッピーエンドだったのか

僕は、めちゃくちゃいじめられっ子だった。
中学時代の野球部。あのとき僕に居場所はなかった。
当時から今まで抱えてしまっているコンプレックスについては過去に書いた。

ある日、ひょんなことから当時の野球部の子と再会した。
用件は僕が働いている業界への転職を検討しているから仕事について聞かせてほしいとか何とかだったと思う。

彼とは、大学生の頃にも地元の集まりで何度か顔を合わせていたし、いじめられる前は仲も良かったので連絡が来た時には何気なくOKの返事をしていた。

一通り仕事の話が終わった後のコーヒータイムに、
ふと彼は思い立ったように、
「つっちー、よくあのとき野球部を辞めなかったよな」と言った。

突然の彼の発言に僕はびっくりし、
「ああ、まあね、、」くらいしか返せなかった。

そして、
「あのときは申し訳なかった、ダメとは分かりつつ同調していじめる側に回ってしまっていた」と言った。少し申し訳なさそうに、何かに許しを乞うように。

そのとき僕は正直何で彼がこの発言をしたのかわからなかった、何で今更蒸し返したのかも。でもその何かの許しを乞う彼の声色から、気付いたらこう言っていた。
「いやいや、もういいよ、昔のことだしさ。あのときは本当に孤独で辛かったけど気づいてくれてた人がいて良かった、少し救われたよ」、と。

その僕の発言を聞き、少しホッとしたように、
「またみんなで飲めたらいいな」と彼はいった。
僕はその時の彼の顔を見ることができなかった。
そこで会話は終わった。

その会は、その後にいくつかの昔話をして無事に終わったように思う。
(僕は学生時代に辛い思い出が多すぎたせいで思い出せないことも多かったが)

彼と別れた後の帰り道、僕は何かもやもやした気持ちをずっと持っていた。この気持ちは何だろう?
彼に対する怒りなのか?軽蔑か?
過去の自分が救済された安堵なのか?過去を受け入れることができた容認なのか?

それから2週間後の週末、カフェでコーヒーを飲んでいるときに、
あの時の気持ちをスッと理解した。(なぜこのタイミングだったかはわからないが、僕は普段から人より物事を理解するのに時間がかかる質である)

あのとき僕が抱えていた一番大きな感情は、
「強い嫌悪」だ。

そしてその強い嫌悪は、
彼の発言や彼の人格へ向けられたものではなく、
今の自分に向けられたものであった。

僕は自分自身はもうとっくにあの頃の自分を超えて、あのトラウマを乗り越えられたと思っていた。実際、悪夢を見る回数は減っていた。

許せなかった自分が許せない、許せるおれでありたかった。
どれだけいい服を着たり、いい仕事をしたり、素敵な人たちに囲まれても、僕の魂の一部はあの頃に取り残されたままなのだ。

僕の最も好きな、そして尊敬する『マチネの終わりに』にこんな一節がある。
「あなたの今日の悲しみが、
明日の出会いによって大切な思い出に変えられますように」

僕にはまだあの辛く悲しい過去を、変えることができなかった。
変えれた、乗り越えられたと思っていたけれどまだ心の奥底にへばりついて取れていないかさぶただ。

僕はこれからもたくさんこのコンプレックスと付き合っていくだろう。
人は「後悔」する生き物だ。そう簡単に過去は変えられない、過去を悔やみ、悶絶してしまう生き物だ。

でも、同時に希望を持って生きることができる生き物でもあると思う。
今に集中することで過去は変えられる。(と信じたい)

これからの人生で、素敵な出会いや努力によって大切な思い出に昇華できたらいいな。(きっと、できるはず)

このnoteは2021/1/11に公開をするけれど、今後上書きをする予定だ。
ハッピーエンドはまだ先にあるんだ。




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