マンガメモ、サンクチュアリ
サンクチュアリ7巻まで読んだ。
裏の世界と表の世界、極道と政治の両面から、日本を変えようとする2人の男の物語。
極端すぎる生き方の物語だけど、共感できることは、一言でまとめると「死んだ目をして生きるな」ということだろう。
主人公たちは、幼少期に交わした約束を守るために、命をかけて生きている。一貫して、強い眼光と力を描こうとしているのが伝わってくる。
そして、登場人物たちの言葉と行動が、腹のなかから出てきているのが表現されている。頭より身体を信頼する。
人間は安全なシステムのなかにいると、こういった「力」が失われるし、自分もシステムに適応しまくっている自覚しかない。
だが本来人間には、これだけの力はあると思わされる。
他者や周囲を横から見て非難するのは楽だし、なんかやってる感もある。
逆に自分が他者や周囲に対して何ができるか、小さくても実感を持って世界に影響を与えるんだと考える方が労力がいる。他者や物事のよい面を探そうとしたり、目の前の他者に対して自分がなにかできないか考えたり。
ヴィクトール・フランクルは、自分から世界に要求するのではなく、世界から自分に常に何か問われているのに対しレスポンスすることで、生きる意味が立ち上がるんだと考えた。それに近い。
生きるということを、あなたにとってどういう意味を持つか。
あなたは自分のできることでちゃんと生きてますか、と読者に突きつける作品である。
余談だが、ホッブスの「万人の万人に対する闘争」世界観というか、現在の社会契約の前提になっている思考があまり理解できてなかったのだが、こういうのを読むと、皆が闘争状態と考えるのはなんとなく理解できた。人間の自然状態にあるときの「力」を、やはり体感値としてみていたのではないか。そして逆説的にその力や暴力を国家に集約することで緩和し社会を構築すると考えたんだろう。
人間の自然状態には、闘争以外にも「共感」といった働きもあるはずで、こちらの感情の力も社会の中できちんとワークする必要があると思うのだが、どうも力を手放すこと、この共感という感情の働きを手放すこともリンクしているのではと読んでいて思った。