推し活、関係性、自己家畜化と力の源泉

仏壇のはせがわを取材した動画を見て、けっこうおもしろい現象だと思った。

人間は、定住をはじめてから、社会のなかで生きる生活形式なった。
社会のなかで生きるとは、ある種本能や暴力などの「力」を抑え込まれた状態で日常を送るということである。

近年は、社会がホワイトでコンプラ的で自己家畜化の方向の力がものすごく働いているように思う。自分のなかから「力」が社会的に出せないような構造になっている。

そんななかで、心の平安を保つために、推し活という消費と贈与の中間のような消費行動が生まれている。戦後の大量生産、大量消費の時代には、「お客様は神様です」という、消費者が神の時代だった。
だが、最近では一部その主体が生産者(つまり推しの存在)の方がメインになり、消費者がサブになりつつある消費市場が誕生しているとも言えそうだ。

社会がリベラルになり、個人の自由が最大化すると、人間関係のしがらみはほとんどなくなり、もはや人間のつながりを担保するものはない。「人間関係の断捨離」をする人が、ニュースになったりするのはそのためだ。
個人化がそこまで進んでいない時代は、社会と個人の間に、何となく必然性のありそうな友人関係や家族関係が存在していた。今は個人が剥き出しで直接社会とつながる形になっているように思う。
そうすると、強い人間のつながり、心の平安、今日もがんばろうという「力」の源泉は「推し」がまかなうようになるのかもしれない。
その「少し畏敬の気持ちがするもの」「聖なるもの」という需要をうまく捉えている気がする。


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