#14 【HSP】思いやりって言うのかな
ここ二、三日漠然とした不安に悩まされていたので
備忘録を兼ねてここに書いておこうと思う。
働いていると、本当に親切な人がたまにいる
文字通り、自分の身を削ってでも他人に貢献しようとする
素晴らしい先輩や社員の鏡だと思う
納得してやっているのならば良いと思うが
もし私だったらと思うと、疑問が湧く。
私は心からの思いやりで身を削れるだろうか?
オフィスにいるといろんな状況が目に入ってくる
今日中に仕上げなかればならない資料作成、
後輩の仕事のフォロー、
先輩や上司が忙しそうなので手伝わなければ、とか
そんな状況を見た貴方は優しいから、
自分の仕事を放り出して助けにいっていないだろうか
手伝った後輩や先輩や上司は定時で帰り、
貴方が明日までに作らないといけない資料に取りかかれるのは
定時間際から、といった状況ではないだろうか
結果、定時までに仕上げる、と決めた目標を
達成できなかった自分を責めてしまっていないだろうか
他人を思いやった行動が自分を苦しめる
それっておかしくないか
思いやりって自分と周りを少し幸せな気分になるものなんじゃないのか
思いやりは、決して対価を求めるものではない
だからこそ、自分にできる範囲のライトな循環であるべきだ
思いやりと過度な自己犠牲と混同して
「私はあれだけ手伝ったのに」という見返りを求めている自分はいないだろうか
「私はあれだけ手伝ったのに」という声は、見返りの声
私たちは義務教育で「他人に優しく」という価値観を学んできた
調和を大切にする日本の文化に限らず、グローバル化の中でも重要な精神だ
一方で、過度に自分を抑え込むことが暗に美徳とされがちな世の中だ
これは怖いことだ
他人に無理はさせないように暗黙のルールがあるのに
自分に無理をさせることにはストッパーがない
自分をコントロールできるのは自分なのに
そして、自己犠牲は周囲の自己犠牲を強要する可能性がある
定時間際に緊急の仕事を差し込まれたとき、
自分のスキル以上の仕事を頼まれたとき
キャパを超えていると自分には目に見えていても
大事なところでアバウト視して、自分ならなんとかできる、とすり替えてしまっていないだろうか
痛い目を見ることがわかっているなら、逃げてしまってもいいと思う
まずは自分のことをしっかり制御できたうえで、相手も助けられる
相手に優しくするために、まず自分を知って、自分に優しくする
見返りが前提とした手助けを与えるよりも、
心からの心配や声掛けのほうが、最終的に何倍も相手の心の支えになると思う
できる範囲のライトな思いやりだからこそ、その人の心が本当にこもっていると思う
少なくとも私は、そんなライトで人の思いがこもった思いやりが
たくさん循環している世の中で生きたい
ライトな思いやりが巡り巡って、自分の幸せをつくる
自分の幸せや自分の世界は自分でつかみにいこう
幸せは、自然と降ってはこないから
他人にも、自分にも期待しないことが、世界を少し優しくする
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