じぶんのリーダーはじぶん~「すいません、ほぼ日の経営。」感想~
最近は、自室の本棚にある本を再読しています。
今、読みたい本って案外身近にあったりする。
そんなわけで今回は
気になった言葉となぜそれを気になったかを解説していきます。
気になった言葉
↑のように、本の中の文は網掛けしています。
クセの習慣がすごい
例えばグラフィックデザイナーの佐藤卓さんと仕事をしているときには、卓さんのところに一緒に出かけていったり、みんなで卓さんのプレゼンを見たりして、「どれがいい?」投票するようにしています。そうすれば、「方法を分けてもらう」ことと「課題を解決してもらう」ことの両方をしてもらうことになりますから。
学ぶの由来は「まねぶ」、模倣することからとも言われていますが、課題の解決をしながら同時にその方法を学ばせてもらうというのは経営者の目線だなと。それが糸井さんの言葉で説明されているのは非常にありがたい。
普段からクリエイティブのクセをつけたり、思いついたことを人に投げかけてキャッチボールをしたりすることから生まれたわけです。「もっといい考えがあるんじゃない?」と繰り返し問い続けることが大事なのであって、それは集中力とは違います。
スキルを高めるのは●●力ではなく、習慣づくり。繰り返すことで個々の能力が上がり、チーム力が上がる。
だいぶ前、ほぼ日の社員がまだ少ないときに、「きちんと時間を守って遅刻をしない人が、だらしない人を非難しないように」とみんなに言ったことがあります。「きっちりできる」ということだけが、ほかにも増してなによりも大事なことではないんです。
自分も時間にルーズな癖に、遅れてくる人は非難してしまう。自分はできているからを武器にしてはいけませんね。
ぼくは、ハンディを負っている人に対して、そうじゃない人が意地悪になるのがとてもいやなんです。「じぶんは子どもがいる人のぶんまで責任を持たされました」ではなくて、「よーし、俺がやるよ。頑張ろう」となってほしい。
誠実は筋肉に似ている?
うちには、伝家の宝刀のような言葉が二つあって、「誠実」と「貢献」です。「誠実」については、「誠実は、姿勢である。弱くても、貧しくても、不勉強でも、誠実であることはできる」ということ。
誠実という言葉、私も自室のホワイトボードに書き出してあるのですが驚くほど誠実であることを忘れてしまいます。誠実って筋肉のように常に鍛えていかなくてはいけないのかも。
「つよく」のところを先に鍛えて、「やさしく」が置きざりになる可能性があるというですね。うちはあくまでも「やさしく」が先で、「やさしく」の人が「つよく」ならないといけないと思っています。
ほぼ日のやさしく、つよく、おもしろく。言葉の順番にも意味があるんですね。これは会社のみならず、家庭や社会においても、やさしさから始める「順番の大事さ」を覚えておきたい。
「誰が」ではなく「場」が主語
ぼくの中にも同じ考えがあって、「誰がつくったか」よりも、「どんな場がつくったか」のほうが大事だと思っています。
「どんな場を」ではなく「どんな場が」と場が主語。人を主語にしない考え方。
正しそうなことを口で言うだけならやさしいけれど、現実にはそれを変えられない理由がいくつもあります。逆に正しそうだけれどもそもそもその正しさを疑ったほうがいい、ということもあります。
私は先日「ツボイさんは正論過ぎる」と指摘されました。正しいが正解ではない。正しいを実現するための想像力が必要なんだと肝に銘じています。
じぶんのリーダーはじぶん
「じぶんのリーダーはじぶんです」
マネジメントやリーダーシップの本を日々読んでいますが、これが一番刺さったかもしれません。どんな定義や模範となるひとの伝記を読んでも結局動くのは自分。まずはリーダー自分がチームメイトの自分をどう見るか、見られているのか。
人間は、じぶんのいるところが危なくなると、ほっとしていいところに向かいたがるものです。そのとき、危ないところで踏ん張れと言われてしまうと、じぶんにとっても会社にとってもよくないほうに向かってしまう。
危ないとき、危ないところほど「踏ん張りどころ」と思ってしまうし、そう言いがち。根性では解決できないことがほとんどだったりする。
それ(陰口)もうちは絶えず社員同士がお互いに取材をしていますから、そんなものは簡単にばれます。大事なことは情報が届くかというようなことではありません。
社員同士が取材し合える関係って理想。社員同士で興味があるからこそ話を聞いてみたいと思えるのでしょうね。
「ぼくの個性がみんなによろこばれている」というような血迷ったことを言っていたら、ほぼ日はとっくにつぶれていたでしょう。ですから時期が来たら、ぼくの存在がいらないと言われるようにしよと思っています。
ほぼ日が未だに愛される集団が分かる一言です。ほぼ日=糸井さんでは決してない。糸井さんという媒介を通じて個性が活かされているのだろうと想像できます。
まとめと気づき
元中日の落合監督も「落合中日」と表現されることをとても嫌がっていました。主役は監督ではない選手だ。監督の顔色を見て試合をするな!と選手に口酸っぱく言っていたそうです。
落合さんが言った「プロ野球は個人事業主」と「じぶんのリーダーはじぶん」は近いかもしれませんね。
ほぼ日の社員が活き活きと見えるのは「じぶんがリーダー」であることを胸に、でも自分を押し付けるのではなく「場」を主語にして考えているのだと思いました。
あと改めて文を書き出してみると平仮名が多いのと「大事なこと」「必要のないこと」「疑ってかかるべきこと」が正確に書かれているように感じました。その表現に曖昧さがなかったことも糸井さんの意思や強さを感じる。
どうかこのブログだけで読んだ気にならず、是非本を手に取ってみてください。
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