デジタルデトックスをようやく意識しているのかもしれない話
突然だが当方、Twitter(今はXなどと呼ばれてはいるもののこんな呼び方は受け入れられません)との向き合い方を最近になって変化が生じ始めているのでその背景をこの場を借りてまとめていきたい。
1.筋トレ
健康診断の検査でとある箇所に一年の要経過観察の判定が出た。
その前からもTwitterを始めた頃からは何キロも増えてしまっている現状に危機感をそれなりに抱きながらも始めたことが、自宅に眠っていた10kgダンベル上げである。最初は片腕30を超えるだけで息切れし疲弊してしまう状況でもなんやかんや毎日のようにやれるようになっていき、今では朝食後のアップでノルマ右30,左50を設定できるほどの筋持久力がついてきている現状である。
ほぼ毎日のように続けることで起きた変化があった。
ぐちぐち考えてんじゃねえ、愚痴る前に鍛えんぞ!!
こんなメンタリティをもってこなしていくことで毎日やることも苦ではなくなり、目の前の今に没頭することを繰り返すことで心がいつの間にか洗われていったのを確実に実感していたのである。
後述する背景もあったせいなのかなんなのか、1ヶ月休まず続けてもう一つ気づいた事がある。
あれ、今までと比べ物にならんほど健全かつ前向きな習慣じゃね??
そんなこんなで今となっては歯磨きや食事と同じくらいの感覚でできているので今後も継続ができればと思っている。
2.SNS疲れ。これを意識せざるを得ないことがあまりにも多すぎた
きっかけは一つではない
まず初めにスクリーンタイムに目を通してみたが、1時間は当たり前に使い続けてしまっていた自分にとにかく驚いた。
※確認するのは常識なのだろうか…
Twitterを使い続けている人間なら誰しもが、時には目を通すことが億劫になってしまう現象に陥ることはあるはず。嫌なワードはミュートしたりそれは数知れないと思うが、何よりも嫌われる勇気を抱くことを必要だとなることが今となっては1番心労を持ってしまう瞬間だったかもしれない。
う〜ん、始める前にはなかっただろうに、不自由極まりない思考に支配され続けているのかもしれない。
>>1番心労を持ってしまう
これに関しては、もっともっとやりたいこと、やり切ることができていないこと
これに矢印を向けることも必要なのだろうが、そうなってくるとどう思うか何をしているかをいちいち発信することが面倒になりつつあるのが現状なんだと思う。
最後にとある引退記者会見より「人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね」
かくいう自分もこの言葉を噛みしめなければと諭されることがあり、発信や公言することの難しさは大いに感じてはいた。
これからは最初にフォローしたアカウントを中心とした情報収集および把握のために使うことが主にはなりそうである。こうやって立ち返れる何かが一つある。
それだけで少し心がまた救われた気分になる。今回はこんなところで締めたいと思う。
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