見出し画像

僕にとっての経験と優しさの関係

今日は活動とかインドネシアとかには全く関係ない話。
久しぶりに何だか昔を思い出したから、今日は自戒を込めてことばを書きます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あれは確か中学生のころ。
国語のテストがあった。

答案用紙が帰ってきて、ある問題を間違えていた。
小説を読解する問題。
「この出来事の後の主人公の心情は?」みたいな問題だった。


内容を細かくは覚えていないけど、間違えている理由が分からなかった。
先生が解説してくれたんだけど、それを聞いても
なぜそれが間違いなのか、なぜそれが正解なのか、
当時の自分には全く理解不能。
問題自体が間違ってるんじゃないかとまで思った、生意気な子供。
でも周囲は特にそこに引っかかっていない様子だった。


「なんでこういう出来事があって、そういう気持ちになるんだろう?」
周囲に合わせて僕は納得した顔をしたけれど、心の中ではそういう気持ちだった。
当時、そんなの人それぞれだろうし、正解なんてないでしょ?
そしてなんでこのテストではそれが「正解」って言えるの?
全く分からなかった。


でもその時、僕ははっと気づいた。
「あ、自分自身がそういう経験がないから、その時の気持ちが分からないんだ」


近い経験はあったのかもしれない。きっとその頃もまだまだ想像力というものが足りなかったのかもしれない。
でも多分気持ちを想像するにも、それに近い経験の積み重ねや知識や情報、そういう広い意味での「経験」がきっと必要。


どういう気持ちになるのか、全く分からなかったのは、
自分が経験したことない、想像も出来ない出来事だったからだ。

極論かも知れないけど、その当時の僕は
心情なんてやっぱり経験がないと分からないんだ、そう思った。
その当時の僕にとってはものすごい発見だった。
冗談でもなく目からうろこだった。




それから何年経っただろう、大学1年生のころ。

新しいメガネを作りに眼科に行った。
ただ視力を測ればいいだけなのに
なぜだかやったこともない検査をたくさんさせられた。

ようやく個室に呼ばれた。
お医者さんからは
網膜剥離だから手術が必要で、最悪の場合失明する、と説明を受けた。

それを言われた時に、手術前だというのに目の前が真っ暗になった。
ショックだった。信じられなかった。
まだ20歳にもならない、世の中を知らない頃の僕にとって、
失明はほとんど死に近かった。
目が見えない生活なんて、想像がつかなかった。というか無理だ。
それは、(誤解を恐れず言えば)その頃の自分にとって、死ぬも同然だった。

授業もバイトも休まないといけないから、友人たちに連絡をして
バイト変わってもらったりして、色々迷惑をかけた。



両目網膜剥離。入院して片目ずつ手術をした。

麻酔が切れると信じられないくらい痛い。
目が使えないと入院中にやれることが殆どない。
寝るくらいしか出来ないけど、寝すぎて夜も寝れない。


そんな中で色々な友人から励ましや心配の連絡をもらった。
「大丈夫?元気になるの待ってるよ」
「こっちは心配しないでちゃんと休んでね」
心から心配して、元気づけようと送ってくれるものはちゃんと届く。
「優しさ」の塊に見えた。
本当にありがたかった。勇気づけられた。助けられた。


でもその中にも、何だか形だけのメールもあることに気づいた。
対して何も感情がないようなものも、
今の状況を面白可笑しく言うものもあった。

今ならただのジョークで、笑わせて元気づけようと思ってくれている事が分かる。
ただ当時怖くて痛くて余裕なんてなかった僕は、
連絡してくれるだけで、本当に本当にありがたいことなのに、
そういうメールに敏感に気づいて、ちょっとだけ傷ついた。
そこに「優しさ」は少しも感じられなかった。


そんな時、またふと気づいた。
彼らにも経験がないだけなんだ。
どれだけ不安か、心配か、痛いかしんどいか、
経験がないだけなんだ。
経験がなければ、相手が求めるような優しい言葉はかけられない。



そこで決心した。
誰よりも優しい人間になりたいって。
辛い人がいれば、その人が求めるような優しい言葉をかけられるような人になりたいって。
心から共感して、相手の気持ちに寄り添って、優しい言葉をかけたい。

その為には経験が必要だと思った。
経験がないことは自分は真に理解することがきっと出来ない。
そしてやっぱり言葉は薄っぺらくなる。
だからもし手術が成功して、普通の生活が送れるようになったら、
いい経験も、悪い経験も、辛い経験も、色んな経験を積極的にしようと思った。

そうしたら相手の気持ちが分かる人に近づける。
優しい人間にきっとなれる。
的確な言葉をかけられる人間になる。
少しでも気持ちが軽くなるような言葉がかけられる。


経験は、「優しさ」に繋がると思った。
経験は、誰かを救う力になると思った。




手術は無事に成功した。
今は全く問題なく、普通の生活を送っている。



それからは色んな経験を求めていた気がする。
今優しい人間に近づけているかは分からないけど、
そして「優しさ」の種類も色々あるということを学んだけど、
その当時よりはそんな自分になれている気がする。




青年海外協力隊に応募したのも、正直経験を求めてだったと思う。
それが正解だったかどうかはこれからの自分が決めること。
インドネシアに来てからも色んな嫌なことも辛いこともある。
忘れたいこともある。目をつぶりたいこともある。
自分の弱さも、力のなさも本当にたくさん気付く。
それに気づいて自分でも飽きるくらいに凹んだりもする。

それでもこういう経験はきっと自分の力になる。
今以上に色んな人の気持ちが理解できるようになる。
きっと優しくなれる。


人は忘れる生き物だと言われる。
1週間前に食べたものも忘れてしまう。嬉しいことも楽しいことも、幸せだった時間も忘れてしまう。
でも一方で、痛いこともしんどいことも苦しいことも、そのうち忘れる。
辛いことを全て覚えていたら、生きていけないから。
だから人間は忘れる様に作られているんだろう。

頭だけじゃなくて心も、きっと覚えておける容量って決まっているんじゃないかなって思うこともある。
過ぎ去ったことは、意識的かどうかに関わらず、大体忘れる。
自分という存在も、他の誰かから忘れ去られたりもするんだろう。
色んな感情も、きっとそのうちなくなるんだろう。


でも色んな経験や感情は、僕だけは忘れずにちゃんと取っておきたい。
いつか、それと同じ状況の誰かの力になれるかも知れないから。
だからどんなしんどいことも忘れない。

忘れた方がよっぽど楽だろうことも、
忘れないことが自分の将来の糧になるはず。
忘れないことで誰かを救えるような大人に近づけるはず。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?