JICA海外協力隊が執筆した記事を綴るマガジンです。
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青年海外協力隊での活動の記録
インドネシアでの生活で、感じたことや発見などを。
その場その場で感じたことを徒然なるままに。
大分今更になってしまいましたが、 3月末に日本に帰国しました。 本来なら4月26日に1年間の任期を終えて帰国となるはずが、 コロナの影響で全世界の全青年海外協力隊が一斉帰国、 私の場合は1か月任期を短縮し派遣終了という運びとなりました。 現在の世界・日本の状況を見ても、 それをどうこう言っている場合じゃないんだけど、 ただでさえ短い1年という任期を最後まで全う出来なかったことに おこがましくも残念さと悔しさとが混じってしまう。 でも、今の全世界でのコロナの状況や、 同期
コロナウィルスが流行し出した当初、韓国・日本・イタリアなどで次々と国内感染者が見つかる中、インドネシアでは感染者0が続いていた。 誰がどう見ても明らかに不自然。 隣国のマレーシアやシンガポールでも確認され、貿易の多い中国では拡大の一歩を辿る。 人口2億5,000人以上、世界第4位を抱える国で、1人も感染者がいないなんてありえない。 世界からも感染者0人のインドネシアへの批判があった。 その時にインドネシア人は、自虐を込めて インドネシア人は日頃から劣悪な環境で様々なウィ
インドネシア語には実は検定があるのです。 とは言っても日本のインドネシア語検定協会が行なっているもので、 受験者は年間3,000人程度、1月と7月の年2回実施されています。 基本は日本人のインドネシア語学習者向けの資格試験で、会場は日本国内なのですが、 ジャカルタとバリでも受験可能で、 協力隊のインドネシアの先輩隊員も多くの方々受けてたりします。 インドネシア語検定ではE級〜特A級の6段階が用意されており、 E級はインドネシア語を勉強し始めた人向け、 特A級になるとプロと
青年海外協力隊は現地の人と一緒に生活をして その中から少しでも力になれることを探して それをやっていく。 だから上からじゃなく、 同じ目線の国際協力。 出来ることは限られるけど、すごく素敵なことだと思う。 だからインドネシア人になろうと思ってきた。 なれないのは分かってはいるけど 少なくとも彼らに受け入れられるくらいには。 郷に行っては郷に従え、 言葉だって頑張って覚える。 ご飯は手で食べるし、裸足で歩くし、 イスラム教の挨拶だって真似する。 日本人はこういうの得意だよね
大学の時、卒業要件がいくつかあった。 第一に「単位がいくつ以上」というものがまずはあるんだけど、 その中に「評定平均がいくつ以上」というものがあった。 評定平均は成績の平均で、 確か4点満点で、各授業の評価がAだと4点、Bだと3点、Cだと2点、 Dが1点でEは落第(単位取れない)みたいな感じで 確かその当時の卒業要件は2点に届かないくらいだったと思う。 要は全部Cという評価を取れば無事卒業出来る、というものだ。 思う、というのも幸いにして そのギリギリをせめぎ合って卒業し
早いものでもう2月。 去年の4月末にインドネシアに来て早9か月が経ちました。 ブログもたくさん書こう!って思ってたけど 結局全然書けなかったなあ。 毎日くらい書いている人は本当にすごいなあと思う。 私は1年間の任期なので今年の4月の末で帰国。 長いようで短い1年間が終わる。 もういよいよゴールが見えてきた感じ。 こうやってゴールが見えてくると なんだか複雑な感情が沸いてきて。 早く日本に帰りたい気持ちもあるけど、 正直なところ日本社会に復帰出来るか不安なところもあって
ある日、友人から誘われて集まりに参加した。 それは市内にあるキリスト教系のとある孤児院のイベントで 孤児院に住む子供たちや教会関係のお母さん方などが集まって 浜辺で遊んだりするもの。 大体そういうところに行くと、初対面の人からの 「名前はなんだ?」「インドネシアで何してるんだ?」 そんなようないつもの質問に答えるのが常。 何百回とされて来た質問で、来て初めのころは何て言えば伝わるかとか 結構考えてたりしてたけど、 今では答えるのに何の感情も湧かない程に慣れてきた。 まあ
僕が幼い頃、テレビでニュースを見ていたとき。 卓球の愛ちゃんが子供の頃、泣きながら卓球台と向き合う姿が流れてた。 そして彼女はオリンピックにも出ていた。 夏休みの帰省の定番であった甲子園を見ていた時 マー君とハンカチ王子の試合をテレビで見ていた。 本当にものすごい試合だった。 その当時「最年少記録」や「〇〇世代」などを作る彼らは その当時の僕より年上の人たちだった。 いつからだっただろう。 自分より若い世代が活躍し出して、 それを見て最初の頃は 「この人俺より若いのにす
大分更新が滞ってしまったこの頃。 環境に順応しすぎて日本にいたころの記憶も薄れつつあるからか、 日本とくらべれば全く忙しい訳ないのに、なんだか忙しいフリしたりして。 大分反省です。 9月くらいから前任のボランティアが作ってくれた関係性を使わせて頂きながら、 小学校での活動がようやく出来る様になり、 それまでのもやもやした期間からは脱して、 毎日やることがある!という嬉しさに包まれながら生活していました。 前任の方が一緒に活動をしていたインドネシア人に協力してもらいつつ
クラウドファンディングが嫌いだ。 正確に言うと嫌いだった。 仕組みは知ってる、みんなからお金集めてその人の夢叶えるんでしょ?ってくらいだった。 お金を集めている人は、みんな自分の信じたやりたいことを真っ直ぐに語れるキラキラした人たちで、 熱い言葉と、未来のビジョンと、彼らの笑顔の写真が載ってて、それを応援してくれる人がいて。 なんか、嫌だった。 ちゃんと内容を見るのも嫌だった。 でもその理由は、何となく気づいていた。 それは、お金があってもやりたいこともなかった自分が
宗教というものを、僕は殆ど知らない。 多くの日本人と同じく無宗教だし、 しっかりとそれについて考えたこともないから まったく知識もない。 父は仏教徒で、母はクリスチャンだけど、 そこまで敬虔な訳ではないし、 両親の宗教を知る機会は、祖母が亡くなった際のお葬式と入るお墓の違いでしか認識したことがない。 そういう背景もあって、 もう誤解を恐れずに言うと、宗教に全く興味がなかったし 今でもどうしてそこまで神を信じれるのか、分からない。 (批判している訳でも、否定している訳でもあり
今週は日本語の授業を行っているインドネシアの高校や専門高校(日本の高専や工業高校に近い機関)に訪問して、 日本の授業の見学をさせてもらった。 専門高校では自動車整備であったり、プログラミング、看護、美容等、 日本の工業高校や専門学校のような内容を学ぶ高校があり、 一般の高校と同じく3年間で卒業が出来る。 高校によっては現地のスズキやホンダ等の自動車・バイク製造企業やPC関連企業と連携をし、授業の一環としてその店舗などでの実習を行う。 今回行ったところは学校は、 学年の15
今日は活動とかインドネシアとかには全く関係ない話。 久しぶりに何だか昔を思い出したから、今日は自戒を込めてことばを書きます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー あれは確か中学生のころ。 国語のテストがあった。 答案用紙が帰ってきて、ある問題を間違えていた。 小説を読解する問題。 「この出来事の後の主人公の心情は?」みたいな問題だった。 内容を細かくは覚えていないけど、間違えている理由が分からなかった。 先生が解説してくれたんだけど、それを聞いても
先日JICAの公式行事としてジャカルタにて 安全対策協議会・先輩隊員の報告会・ボランティア総会が行われました。 それぞれの詳細の説明は置いておいて。 派遣後約1年の先輩隊員3人の中間報告を聞いてきました。 その3人はみんなジャカルタでスポーツ隊員(水球・水泳・ラグビー)としてインドネシアのスポーツ局に配属され、 それぞれの活動をしていて。 それぞれの活動があるんだけど、 大きく分けるとジャカルタチームのコーチとその競技の普及がミッション。 競技の普及と言っても、それぞれ
7月23日はインドネシアのこどもの日。 毎年それを祝うイベントなどがインドネシア各地で行われる。 その中でもインドネシア国内の一か所だけで 大臣なども出席するこどもの日を祝うイベントが開かれる。 実は今年2019年はマカッサルでの開催だった。 その前日の22日にこの前知り合ったNGOの人に誘ってもらって NGOの持つ施設での小さなイベントを見学させてもらう。 この日は近くの小学校の生徒たちがその場所に来て おせんべい食い競争や詩の朗読などをして楽しむというもの。 日本
先週の金曜日のこと。 市が運営するごみ銀行でおしゃべりしてた時のこと。 つばさ!動画を作れるか?日本人なんだから作れるだろ? ごみ銀行の紹介動画を作って、再来週にある子供の日のイベントの時に流そう!俺たちも手伝うからやってくれ! カメラは俺が持ってるから来週持ってくる。 ソニーのカメラだから、日本人なんだから使い方分かるだろ? 突然結構な勢いでそんなことを言われる。 日本人だから出来る、みたいな言われ方は本当に調子のいい時にだけ使われるけど、とりあえずはそれは一旦置いてお