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2024年夏の終わりの金沢ひとり旅(その3):金沢城公園散策

8月下旬の金沢旅行、今回は香林坊付近で宿をとりました。
「せっかく金沢に来たのだから。」
と、2日目の午前中、金沢城公園~兼六園付近を散策しました。

今年の8月下旬は金沢も残暑が厳しかったです。
「午前中だったら、まだ、それほど暑くないかも?」
と日陰を選びながら歩いて金沢城公園に向かったのですが、午前中から暑すぎました……。


いもり堀付近

金沢城公園をゆるゆると散策

いもり堀付近の玉泉院丸口付近から公園に入り、森の中の道をのぼり、視界が開けた先にあったのが「三十間長屋」と防壁と倉庫を兼ねた2階建ての長屋で、武器や什器等の倉庫として使われたそうです。この建物は安政5(1858)年に再建されたものです(昭和44年に修理工事が行われています)。

安政5年(1858)の築三十間長屋

気になって近くに行くと、入口のボランティアの方が「無料で公開している」とのことだったので、中を見学させてもらいました。

2階に上げると、当時のままの太い松の梁などの木組を見ることができます。

柱と梁の結合には釘などの金具は使われておらず、木と木を組み合わせて固定しているのだとか。また、板の壁の隙間から小石が詰められているのが見えましたが、これは防御力を高めるための工夫なのだそうです。

「三十間長屋」は建物自体は大きくないのですが、材料と技術のすごさに圧倒されました。

広場から、「橋爪門続櫓」を見下ろす。

その後、日陰になっていた本丸園地の森を通り抜けしました。

現在はうっそうとした森になっていますが、昔は金沢城の本丸御殿があった場所です。
賤ケ谷しずがたにの合戦後に前田利家が金沢に入城し、天正14(1586)年頃に天守を設けました。慶長7(1602)年に落雷によって天守が焼失した後、天守は再建されず、本丸には三階やぐら、二の丸には御殿が建てられました。
金沢城は、寛永8(1631)年、宝暦9(1759)年の火災で焼失。本丸の櫓は再建されず、金沢城の中枢は二の丸に移りました。
現在、二の丸御殿の復元整備が行われています。

本丸園地を抜けると、丑虎櫓跡へ。
本丸から北東(丑寅)の方角にあった丑寅櫓も、宝暦9(1759)年の火災で焼失しました。物見にも使われていたそうで、金沢の町や周辺の山々を眺望することができます。

丑虎櫓跡からの眺望
(目の前の木が邪魔していますが……。)

丑虎櫓跡から、ゆるゆると坂を下って歩いていく途中にあったのが鶴丸倉庫。嘉永元(1848)年に竣工した武具土蔵で、城郭内に残っている土蔵としては国内最大級なのだとか。明治以降は、陸軍の被服庫として使われていたそうです。

白い壁が印象的な鶴丸倉庫(重要文化財)

金沢城の石垣。
「いろいろな石の積み方があるな。」
と思って見ていたのですが、実は金沢城は「石垣の博物館」ともいわれていて、石垣の種類が多いだけではなく、積み方も美しいのだそうです。

鶴丸倉庫近くの石垣

坂を下りたところで、目の前にあったのが橋爪門続櫓と橋爪門。
橋爪門は二の丸の正門として、最も格式の高い門だそうです。明治14(1881)年に焼失したので、現在の建物は平成に入ってから復元されたものです。

橋爪門続櫓と橋爪門

重要文化財に指定されている石川門は、天明8年(1788)に再建されました。金沢城の裏口門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です。
石川門をくぐって、兼六園に向かいました。

石川門(重要文化財)


金沢城公園は思っていた以上に広かった……。

金沢城公園内をかなり歩き回ったように思いましたが、改めて園内マップを見たところ、私が散策したのは公園のほんの一部だったことが判明……。

当日は、まだまだ残暑が厳しい時期で、歩き回るのも一苦労。

金沢城公園は日本史好きは、見どころが多いと思います。少しずつ整備がされているので、これからも変わっていくようです。散策に良い気候の時期に再訪して、じっくり歩いて見学したいと思う場所でした。


10月から後期授業が始まったのと、来年度に向けての手続きが始まったのとで、バタバタでした。加えて、いくつかの原稿の締切もあり……。
そのため、8月下旬の金沢旅行記が滞っていました。もう2ヶ月も経ってしまいましたが、備忘録代わりに、あと数記事まとめたいと思っています。

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