【御礼】10/5 Zoom長崎「逆のものさし人参畑塾」
10/5 Zoom長崎「逆のものさし人参畑塾」、ご参加いただきました方々、ありがとうございました。
今回のテーマは、『逆のものさし思考』第四講 “ファンになるな、プレイヤーになれ”。
『逆のものさし志向』清水克衛著
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=153744056
“追いかけるだけで、自分の頭で考えなくなってしまう”、“ファンになるな、プレイヤーになれ”です。
憧れは自分を伸ばしてくれる牽引力となりますが、それだけに止まらず、それを自分の生活や仕事の中で、噛み砕いて自分の血肉にして、そこから何かオリジナルを創造するプレイヤーに。
『逆のものさし思考』の中のルソーの言葉「大衆の幸せは動物園の檻の中の幸せだ」から、次の問いが立ちます。
安心安定安住な社会の檻の常識や普通やルールに行儀よくおさまって、「大疑のもとに大悟あり」という禅の言葉があるように、“本当に、そうかな?”“逆はどうだろう?”と、世間の見方考え方にとらわれて、自分の頭で考えなくなっていないだろうか。
また、社会は、エゴと欲が燃え盛る「火宅」(仏教用語)で、私たちはその欲の業火に焼かれながら、目の前の事にあくせくしています。
その「火宅」の中で、その業火に焼き尽くされないため、お釈迦さまは、「三車火宅の譬(たと)え」(法華経)という三つの道をご教示くださいました。声聞(学習)、縁覚(体験)、菩薩(慈悲)の道です。
毎月一回、佼成出版社 吉川さんより、こういうお話をベースにした「法華経」を読み解く仏教談義をいただいています。
今月10月は30日(水)19:30~21:00
読書のすすめ内&Zoom(アーカイブ版可)↓
https://note.com/tsubaki3103/n/nef2906411f16
今、特に都会は、頭•意識中心で、頭•意識で作られた人工的なものの中、合理性功利性経済性を最重要視する社会です。
人間の頭•意識で作られなかったものは、「自然」や「身体」です。
今や、「自然」から離れ、「身体」の感覚•感性が疎かになっています。
身体が自然からできている人間が、自然から離れ、命の源泉から離れると、本来の生命力が躍動を潜めてしまう。
『センス•オブ•ワンダー』 レーチェル•カーソン著
神秘さや不思議さに目をみはる感性 「センス•オブ•ワンダー」。
自然に神秘さや不思議さを感じる幼年期、その時期の好奇心や探究心、次々に神秘の扉を開いてゆく驚きの、その深かさや長さが大人になっても、人生の大きな原動力になります。
自然に触れて、感性「センス•オブ•ワンダー」を培い、呼び覚まし、
好奇心や探究心、次々に神秘の扉が開らかれてゆく驚きで、高鳴り躍動する心へ、
頭•意識への比重を、もう少し自然•身体に戻そう。
「センス•オブ•ワンダーといのちのレッスン」
鵜野祐介著
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=167779829
その頭•意識でつくられた社会に、自然•身体の自身の生身でぶつかって、その頭•意識に偏って安心する人間に本当の進歩はない、とした 岡本太郎。
正面からぶつかって一段上げてゆく、そこに本当の調和があり、人間の進化だと。
その芸術論は、
“綺麗であってはならない”
“上手くあってはならない”
“心地よくあってはならない”
時代や社会に迎合する美ではなく、
意識的技巧的な上手さではなく、
安心安定の癒しではない、
世間の既成の価値観を疑い、逆からのものをぶつけた。
ぶつかり合い、一度壊され、そこから新たにつくられ、一段上がり調和してゆく。
先日、京都「逆のものさし道」in大阪10周年記念大会に参加させていただき、その前の時間で万博記念公園「太陽の塔」を訪れました。
1970年大阪万博空間プロデューサーとして、太陽の塔を発案創作した岡本太郎。
科学技術の最先端を集めた博覧会場の屋根を、「太陽の塔」縄文の顔が突き抜けた。
太陽の塔の最上には未来を見つめる黄金の顔、正面は現在を見つめる顔、後ろは過去を見つめる黒い顔、そして地下にも縄文の顔が。
それは、人間の頭•意識が作り上げた科学技術の最先端に、自然•身体の縄文のエネルギーをぶつけたものでした。
縄文人は、狩猟採集の不安定な食、肉食獣や害虫、疫病など、常に命の危険と隣り合わせ、
自然を畏怖し、感謝と祈りを捧げ、自然に五体を投じ、
頭•意識と身体•感覚、生と死、有と無、それらを常に表わせもち、自然と人間が一体だった。
岡本太郎は、
頭•意識で作られた科学技術の最先端の万博に、生命38億年の歴史〈生命の樹〉を内包した、縄文人の顔をもつ「太陽の塔」をぶつけていったのでした。
「太陽の塔」高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m、
その中は螺旋階段で登りながら見る生命38億年の歴史、原生類→三葉虫類→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類をたどる〈生命の樹〉。
そしてその日、驚きの出逢いがありました。私たち一行と入館時間が一緒だったご老人、歩調を一緒に進めながらいろいろ解説してくれて、お尋ねしてみると何と70年万博の祭典に携わった方で、御年90歳、岡本太郎の創作現場などもお話し下さり、奈良にお住まいで、ここに来れるのは最後かなと思って来られたということでした。
その方から、その時代のエネルギーを彷彿と感じました。
岡本太郎の本はこちらから↓
https://dokusume.shop-pro.jp/?mode=srh&sort=n&keyword=������Ϻ
今回の長崎人参畑塾の中では、そうした話の他に、
終戦から30年間、フィリピンルバング島で、日本の敗戦を信じず戦い続けた(30年間で93回討伐隊と遭遇戦闘)小野田寛郞さんの話もさせていただきました。
小野田さんは、こういう言葉を残されています。“私個人は、戦いに勝てなかったが、負けなかったことを誇りにしている”
それは、「夜と霧」の精神科医ユダヤ人のビィクトール•フランクルの、絶滅収容所アウシュヴィッツで実践された、絶望的な状況でも生きる意味があるとする「ロゴセラピー」の、態度価値のことだと思います。
「ロゴセラピー」で生きる意味を、
創造価値、体験価値、態度価値としています。
ガス室か飢えか病気しかない、人間を人間としない収容所で、肉体的精神的絶望の極限で、人間の心を保ち続ける姿の「態度」が、最後に残された人間の尊厳、生きる意味だと。
態度価値観は、創造価値と体験価値とともに、人間を内側から支えています。
『夜と霧』
https://dokusume.shop-pro.jp/
読書のすすめにお問い合わせください。
今回このような内容の人参畑塾でしたが、
はじめのルソーの言葉「大衆の幸せは動物園の檻の中の幸せだ」に自分を照らし、
社会の常識や普通やルールにがんじがらめになっていないか、またその中にいる安心安定で気持ち良くなっていないか、
自分の狭い頭の中に止まってはいないか、本との出会い人との出会いや体験などで自分の殻を打ち破り進化することを怠ってはいないか、
“ファンになるな、プレイヤーになれ”
固定せず動いているか、
頭•意識の世界に偏ってはいないか、リアルな場で五感で人との間の深い豊かさを感じているか、自然に耳をすましているか、また自然に身を投じているか、
あらためて自分自身にも問う機会となりました。
長崎「逆のものさし人参畑塾」に、貴重なお時間をいただきまして有難うございました。
次回は、
長崎「逆のものさし道」読書のすすめ30周年記念大会の前の時間で同会場で、リアル長崎「逆のものさし人参畑塾」を開催させていただきます。
🌟長崎「逆のものさし道」
読書のすすめ30周年記念大会
2025年2月22日(土)
15:30~18:30
https://www.facebook.com/share/p/21gKg36J24SGFmEu/
🌟リアル長崎「逆のものさし人参畑塾」
2025年2月22日(土)
13:00~14:30
お会いできること楽しみにしております!!
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