見出し画像

【短編小説】 秘境の温泉。

秘境にあるという温泉場に行こうと思い立った。

バイクで行けるところまで山の中を進む。

道幅が狭く、傾斜のきつい獣道が先に見える場所で、ひとまずバイクは駐車しておくことにした。



登山の準備は万端なので、道が険しいとかは心配無い。

ただ、熊は怖い・・と、思いながら、両サイドからわっさーと生い茂り、被さってくる枝葉を振りほどきながら突き進む。

1時間半歩き続けても、先の拓ける気配がない。

道を間違えている??

不安を覚えつつも、スマホの電波はもちろん拾えないので、文明の利器はアウト。

紙の地図と腕時計の方位磁石で確認するに、問題は無さそう。

かといって調べることも無い程、獣道は一本道で横道は皆無なのである。



道を歩く自分の足音、踏んだ小枝を折る音以外は、鳥の声も聞こえない状態から、約2時間半。

なんとなく、せせらぎのような音が聞こえ始めた。

水の流れがあるということは、ぼちぼち目的の秘境温泉も近いのではないかと、若干挫けそうな気持に癒しの水音。



「行くまで大変だったけど、良いお湯でした。」

「絶景も楽しめる、素敵な温泉♪」

といった、いわゆる「普通」の秘境温泉のコメントと比べると、今回の秘境温泉のコメント欄は、ちょっと不思議だった。


「とにかく癒され『は』した。」

「疲れ切った気持ちを全て洗い流して『は』くれる。」

『は』が気になる。

それに・・・

「秘境の地だけに、癒され方の意味は行かないとわからんだろう。」

「凄く癒される。まあ、目を瞑れよ、自分を癒すことに集中!」

「準備万端で。」

微妙な書き込みも気になってはいた。



コメントを思い出しながら、棒になりかけている足に「もうちょいで癒してくれるぞ!」と檄を飛ばしながら頑張って歩き続けた。

ふと、せせらぎと思っていた『音』が、声色に変化していることに気付いた。

大きな音じゃないけど、ザワザワと人の声が混ざり合ったような音。

ふと、道の左側の草いきれが無くなり、河原が現れた。

「おお!!」っと思わず歓声を上げてしまった。

ザ・清流といった透明で涼やかな水だけど、ちょこちょこと真っ黒な細長い何かが流れて来る。

枝かな?と、気にせずに上流に向かって歩いて行くと、どんどん真っ黒な細長いものが増えて来た。

同じように人の混ざり合った声のような音も大きくなって来た。

心細くなりかけていたところに、上流から人が降りて来る姿が見えた。



足元の悪さを感じさせない軽快な足取りでズンズン降りて来る。

近づくにつれて、凄く晴れやかで、それでいて後光が差しているような柔和な雰囲気に満ち満ちている。

「こんにちは!」っと、その『素敵な人』はまるで自分を知っているように、とてもフレンドリーに手を振りつつ挨拶してくれた。

その妙なテンションの高さにビビりつつ、「温泉帰りですか?」と勇気を出して聞いてみた。

ヘッドホンをしていた『素敵な人』はスっと外すと、

「この先50メートル位だよ! もう少し!」

微妙に噛み合わない会話ながら、ガッツポーズを見せつつ、すぐにヘッドホンを付け直した。

お礼を言ってから河原に目をやると、真っ黒な細長いものでいっぱいになっている。

近づいてみると後ろからリュックを引っ張られた。

振り向くとさっきの『素敵な人』。

「だめだ。それは触っちゃダメだよ。 あぁ。。もうひとっ風呂するか。」

さっきと打って変わった表情で、自分を引っ張り上げて上流にズンズン歩き始めた。

気付けば川の音は全く聞こえないほど、人の声に圧倒される状態になって来た。



秘境の温泉に到着。

「知らないで来たの?」と、『素敵な人』に聞かれた。

「秘境の温泉とだけネットで見かけたんですけど。」

「そうなんだ。ほら。」

四畳半位の広さの露天風呂に、三人ほどが浸かっている。

誰もしゃべっていないのに、物凄い量の「言葉」が聞こえる。

風呂の端から、河原で見た真っ黒な細長いものが凄い勢いで河原に注ぎ込まれて行く。

「・・あれ、何ですか?」

「ほんとに知らないんだね。『言葉』だよ。聞こえるでしょ?」

『素敵な人』は来ている服を全部脱いで、風呂に浸かりに行った。

何だかわからないけど、自分も服を脱いで、河原と遠い縁から風呂に浸かった。



棒になった足やら、不安だった気持ちがス~っと溶けだすような絶妙な温度と湯あたり。

これは気持ちイイ!!!

ふ~っとひと息ついて、見るともなしに先に入っていた3人の顔を見た。

二人の中年男性と、一人の若い女性。

こ・・、混浴だったんだ♪

風呂のせいじゃなく顔が赤らみそうになったけど、よく見ると三人の顔からというか、毛穴から真っ黒な細長いものが数本ずつ出て来ている。

それに誰も話していないのに、ガンガン『言葉』が聞こえ続けている。

ギョっとして、『素敵な人』を見たら、頭のてっぺんから目から耳から鼻から口から真っ黒な細長いものがデロデロ流れ出て来た。

「おおお??!」っと声を発した自分もクチから真っ黒な細長いものが飛び出してきて、体中からも噴出して来た。

そして聞こえる『罵詈雑言』。

「んんんんーーー!!」



物凄く長時間風呂に浸かっていたような気がする。

気付くと、自分ひとりだけになっていた。

慌てて手を見ると、普通。

顔を手で拭っても手が透明に濡れているだけ。

それよりなにより、身体もだけど、気持ちが今までに覚えが無い位に晴れやか。

あの疲れ切って、慌てて、恐怖心でいっぱいだったのはどこへやら、何なら慈愛に満ち満ちているほどに、晴れやか。

風呂から出ようとしたら、頭からニュルっとした感覚があり、頬を伝い、あごから湯船に真っ黒な細長いものが落ちた。

それは『怖い』って文字に見えた。



ポーーっとした状態で風呂から上がると、『素敵な人』がヘッドホンを付けて、イスに座っていた。

手に持っていたスマホの画面を自分に見せて来た。

画面には「すぐにヘッドホンを付けて」とある。

自分は身体を拭くことよりも先にヘッドホンを装着した。

物凄い幸福感と安心感。

身体を拭いて、服を着て、『素敵な人』と一緒に秘境温泉を後にした。



とにかく会話もせず、川を見ることも無く、ただただ黙って下山した。

行きと同じで歩き通しだったけど、全く疲労感が無い。

乗って来たバイクが見えて来たところで、『素敵な人』がヘッドホンを外したから、自分も外した。


「あ~、また溜まったら、来ちゃうんだよなぁ。究極のデトックス。

 悪い『言葉』を洗い流してくれるんだ。知らなかった?

 川の文字を触ると身体に入っちゃって、それは温泉に入っても抜けない。

 危なかったね。

 そのまま飲み込まれちゃう人もいるらしいよ。」


『素敵な人』はニコっとしながら、自分の停めたバイクの後ろを指差した。

サブのヘルメットを渡して、村のバス停まで乗っけて行った。



ネットの書き込みの「ヘッドホン必須」を見落としていた人、『川の水を触った人』はどこへ飲み込まれるのか。


しばし考えていたら、いつの間に来ていたバスが発車していた。

『素敵な人』の横顔に『注意』の文字が見えた。

バスの「乗り降り注意シール」の文字が被さっていただけだと良いなと思った。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?