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あれよあれよで、こんなオチ。

6月の中旬のとある日。

お腹を壊してしまい、はぅはぅ言いながら過ごしておりました。

特に思い当たる「アイスを食べ過ぎた」「冷たいものを飲み過ぎた」「拾い食いした」など物理的な心当たりはなく、数日前に多大なストレスを覚えることがあったので、恐らくそれが直腸へダイレクトアタックをかましていたと思われます。

ここ数年は強いストレスを感じると下血の刑となりがちでしたが、今回は渋り腹だけで済んでおり、ひと安心。(どこが)


そんなことがあった最中、父の体調が悪く熱を出しており、仕事を休んで寝込んでいると母から連絡がありました。

37度前半だったと思いますが、昼過ぎに実家へ行って見ると、かなりしんどそうながらも会話は出来ており、横になるといって寝始めました。

そこから数時間後。

自分の携帯へ電話がかかって来て、全く意味をなさないことを必死な感じで話して来ました。

何のこと??っと、思いつつまた実家へ。

すると職場と自宅と混同しているようで、かなり妙な雰囲気。

また寝るといって横に。

20時前位に母から38度を超えたと連絡があり、またも実家へ行ってみると、ボタボタ汗を垂らしながら白目が妙な色となっており、全く立ち上がれない生まれたての子馬状態。

パジャマはビチャビチャで、かなりヤバイ雰囲気がムンムン。

「こりゃダメだ!」っとクチにしつつ、救急車を呼ぼうとしたところ、母が「もうちょっと様子を見よう」と言いますが、「ダメダメ呼びまーす」と119プッシュ。

10分掛かるか掛からないかで救急車が到着し、実家の2階から救急隊員の方だけでは運べないとのことで、消防の方が助っ人に登場し救急車へ搬送。

着替えや靴、保険証などを準備するように促され、火の元を確認して、母と自分も救急車へ乗り込みました。

幸い近くの救急病院が受入して下さり、簡易検査の結果としては糖尿の悪化からの肺炎発症とのことで、そのまま緊急入院となりました。

幸い、コロナーもインフルも感染は無し。

本人は個室をイヤがり大部屋を希望したため、入院で様子は見ますがICU扱いなどの緊急性は無かったと思われ、ひと安心。

22時半前位に病院を後にしました。


父が入院した翌日も続く渋り腹なところへ、自分にも38.2度の高熱がズーンと登場。

翌日に楽しみにしていた用事があったため、「知恵熱、知恵熱、知恵熱・・」と強く念じて早寝したところ、翌朝は36.0度に急降下。

自己暗示って凄いわ☆っと、用事へルンルンと出掛けられました。

用事から帰宅したところ、知恵熱効果が消えたようで熱グイーンと急上昇スタート。

ここから4日間、薬を飲んでもいないのに熱が出たり下がったりと、ひとりジェットコースター状態でフガフガさせられます。

助っ人バイトの予定があり、体調は回復基調でしたが、また体調を崩したら困ると思い日付の変更をお願いし、念の為に最寄りの病院へ行くことにしました。

病院で最近の渋り腹からのジェットコースター体温事情、ピークは過ぎたと思うけど念の為来ましたと告白します。

風邪だと思うけどね・・と言われつつ、違うと思うけどねっと、一応コロナー検査で鼻に綿棒を突っ込まれて涙目。

すると「あれ??陽性だよ、何でぇ??」っと先生は驚き、自分も今頃流行に乗るなんて・・と半笑い。

「コロナの残りカスだな」っと、捨て台詞のような審判を下されました。
(どこへ行っても心配されないタイプ)

発症はこの日から3日くらい前とジャッジされ、念の為に今日から3日は自宅待機ねと、「きょうだけ飲んでね、明日、熱が出なかったら飲まなくて良いよ~」っと通常の解熱剤だけ処方されてトボトボ帰宅。

発症日からまともに話をした人は母のみといったところが不幸中の幸い。

母に「今更コロナーですわ」と電話をすると、「あら、わたしは濃厚接触者ね!」と心なしか流行に乗った感を出しつつ「食べるものはあるか?」の心配をしてくれました。

これまた幸いなことにレトルト系など、3日間は何も買い物をせずに過ごせるだけは潤沢。

ひとり仕事なので普通に仕事をして過ごし、病院へ行ってから熱が出ることなく、コロナー期間を終えました。

一番キツかった時期は自力で乗り越える底力が我ながら素敵でした(笑)

味覚はジェットコースター状態の時もありましたが、せっかくバリバリに効くようになっていた臭覚が無くなってしまいガッカリ。


しかーし、隔離期間の約1週間後。

事務所で使っているアロマディフューザー(唯一のオシャレアイテム)の香りを敏感にキャッチ。

完全復活を見ました。

景気付けに鳴らしておきましょう


自分のコロナ隔離期間を終えた2日後に、父の入院先の病院へ母とお見舞いに行きました。

本当はリモート面会のはずでしたが、主治医の先生から説明があるとのことで、リモート面会ではなくナマ父も参加。

その場で父が我々家族に「治った」と嘘をぶっこき、4年ほど前から糖尿の薬を飲む&インシュリン注射を「自主判断」止めていたことが判明。

どうも通院が面倒になり大嘘ぶっこきとなった様子。

半信半疑ながら信じた我々家族もいけないのですが・・。

そのままそれとなく過ごせていましたが、救急搬送の2日前に頂いた獺祭をフィーバーして飲んだことが引き金となり糖尿が爆発、オプションで肺炎発症と相成った模様・・・。

家族の「見守り(またの名を監視)」による処方薬の継続を約束することにより、明日の退院が可能との説明を受けました。

そこで父と母がしょうもないプティ争いを勃発させましたが、「家でやれ!!」と自分のプティ怒りにより消火し、翌日爽やかに退院となりました。


家で4日ほど様子を見て、その間に眼科の検診に伺って糖尿による目の異常がない事を確認。

5日後には、もう仕事へ行っていたようです。

聞いていなかったのでびっくり。(なぜ自分は蚊帳の外?)

いまは自分が買ってきたスマホに病院指定のアプリをダウンロードして、糖尿のデータ管理をすることにより、自分で指先に針を刺し、出た血で数値を計る。そして数字がヤバかったら「ちょっと食べすぎちゃった♥」と言いながら改ざんした数字を手帳に記すという怪しい行動がピシャリと停止させられました。

なぜなら自分のスマホにもリアルタイムでデータが届くので!!(笑)


父の緊急入院から約1か月。

自分も体調不良やらコロナーやら、物凄いスピードで日々が過ぎ去りました。

入院手続きやら、仕事関係への連絡やら、アプリの導入説明やら、退院手続きやら、父がいない間に愛用していた地獄のボロさの座椅子の処分&NEW座椅子購入など部屋の片づけやらの諸々を・・・

自分も、渋り腹 → 熱乱高下 → 体力激落ち → コロナー → 臭覚雲散霧消 → ご自愛炸裂 → 臭覚復活 → 日常(きょうから)まで、怒涛の日々でした。

母がオロオロしていて、姉は遠くに住んでいて兄は仕事なため、近くにいる自分が手続きや送り迎えを担当しました。

いつもニヤニヤ過ごしているので、たまには役立たないといけません。


ヘロヘロでしたが、唯一良いことが☆

父が入院した辺りの1週間で渋り腹のせいもありましたが、約5キロ、あんなに頑張っても落ちなかった体重が一気に落ちました。

下の記事よりも遥かにスピーディな落ち方。

自分が第三希望としている体重にあっさり到達し、まさかの第二希望に一瞬到達し、体の軽やかさを実感。

コロナーが治ったら元に戻るかも・・と思っていましたが、暑さもあり食欲がセーブ出来ていて、何年振りかの第三希望はおおむねキープ出来ています。

でも、いきなりの約5キロ減は怖いものがあったので、ちょっと戻った時は安心しました。

元気な状態で第二希望に到達したいものです。

第一希望は夢としておきます、夢を持つって大事ですもの☆
(物は言いよう)


父がお元気となり、姉が週末に実家に帰ってきてみんなで話していたところ、父が入院する直前の記憶が全く無く、入院してから幽体離脱体験をしていたらしいことが発覚。

前にも即身仏化して入院したことがありましたが、その時は記憶がしっかりあり、今回のように記憶が完全に抜け落ちたのは初めて♥と、生き生きと得意気に語られました。

健康って本当に大事です。

それと安易に投薬を止めてしまうことは危険ですね。

父のいい加減さとホラ吹きを家族全員知っているのに、「治った」という話を信じてしまったことが最大の失敗でした。

これからは改ざん出来ない環境下なので、ケツを叩いて行こうと思います(笑)


しかし80歳を超えて、この復活劇。

年相応の記憶の衰えや話の繰り返しなどはありますが、父も母も同い年で、母は趣味やお出かけに勤しみ、父は仕事が趣味みたいなものなので、二人とも元気にエンジョーイしてくれていて有難い限りです。

自分の方が貧弱で偏狭なので、見習いたいところです。

「花の子ルンルン方式」のnoteがガンダーラ化しつつありますが、またボチボチ、あなたの住む街(記事)へ行くかもしれません~♪

全く期待せずに、来たら「あ、痩せて調子に乗っているアイツだ(または渋り腹だったヤツ)」と思って下さい、よろしく哀愁!


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