生きやすくなるために手放すことと、手放さないこと
この1年くらいかけて、少しずついろんなことを手放すようにしています。
自分1人の両手がちゃんと握れること、コントロールできることはそう多くないと思うからです。
たくさんのことを抱えようと思って、でも抱えきれなくなってしまうのは辛いから。自分にとって大切なこと、コントロールできることを見極めようと思います。大事じゃないこと、コントロールできないことに関しては、適度に手放したり、諦めたりしたい。
同時に、「これは手放したくない」と思えることに対しては、自分なりに精一杯コミットしていきたいです。(コミットって便利な言葉)
手放したいこと
①自分の感情
自分の感情はぼくにとってとても大切なものですが、どうがんばってもコントロールできないことなので、手放したいと思っています。
喜び、悲しみ、楽しさ、怒り。
どの感情も感じてしまったあとには、抑えることも増やすこともできないと思っています。
できるのは、感情の表現の方法を工夫することや、自分にとって好ましい感情を増やすために環境を変えることくらい。
自分の感情を否定せず、大事にしながら、同時に「ああ、ぼくは今こう思ってるんだなー」と、ちょっと俯瞰して見つめる自分も置いておくようにしています。
②他人の感情
自分の感情よりもコントロールできないものは、他人の感情です。
一番コントロールできないけれど(だからこそ)、気にしてしまう人が多いのも事実。ぼく自身も、他人からどう思われるかはすごく気にしてしまいます。
あの人に喜んでほしい。この人には悲しい気持ちを感じて欲しくない。
そう思って自分の行動を変えていくことはできるし、努力をしていくことも大切です。
でも、その結果として生まれる相手の感情は、自分にはどうしようもないもの。コントロールしようとするよりも、相手の感情をそのまま大切に受け止めることを、大事にしています。
③他人への期待
他人に期待しないことについては、インターン仲間のさのさんの記事を読んでから、特に意識するようになりました。
他人に対して勝手に期待して、勝手に裏切られて凹むくらいなら、最初からあまり期待しない方がいいと思っています。
他人への期待を手放すと、いろんなことを当たり前にせず感謝できるし、相手が達成した一つ一つのことに全力で喜べるし、相手の失敗に対しても寛容になれます。
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ちなみに、まだあまりうまく言葉にできていないけれど、信頼しないこととは別だと思っています。信頼するけど期待しすぎない、みたいな状態がベストな気がします。
④前提になっている、べき論
誰しも、これまで育ってきた環境によって、「こうあるべき」という前提が自分の中に刷り込まれています。この前提が自分を縛ったり、他者にこれを強要してしまったりすることが多いので、手放したいと思っています。
「女性は専業主婦であるべき」
「新卒で入る会社は大手であるべき」
「成長すべき」
「若いうちはガムシャラに働くべき」
根拠もなければ、そう意思決定したわけでもないのに、なぜか自分の中にできてしまっている前提がたくさんあります。
こういう前提は無意識に刷り込まれているものなので、手放すことはすごく難しいです。
ぼくは自分の言葉でも、他人の言葉でも、「べき」という言葉に全てに対して疑ってかかろうとしています。すると裏にある価値観が見えてくる。
それがわかった上で、それは大事にしていきたい価値観なのか、自分を縛ってしまっている価値観なのかを見極めています。
手放したくないもの
①自分の行動や態度
自分の行動や、自分が人やものと関わるときの態度は、自分のコントロールできる範囲にあるので、手放しません。
結果として生まれる自分・他人の感情はコントロールできませんが、その過程である行動や態度はコントロールできるし、していきたい。コミットしたい。
ぼくは幸せに生きていきたいし、そのためにも、周りの人にも幸せでいて欲しいので、感情という結果をフィードバックと捉えて、自分の行動や態度を少しずつ変えていきたいと思っています。
②自分の周りの環境
とはいえ、行動や態度を変えるのは簡単じゃありません。
行動や態度の要因には、自分の意志・主体性から来る部分と、環境から来る部分があると思っていますが、この二つを見分けるのはとても難しい。
ですので、自分の周りの環境を選択したり、環境に働きかけて変えていくことが重要になってきます。
自分が望む行動や態度が許容される、あるいは強化される環境に身を置くことで、間接的に自分の行動や態度を変えていくことができるのです。
(この本がすごく参考になります。起業家と書いているけど、誰にでも活かせる内容だと思う。)
③自分の物事の捉え方
自分の物事に対する捉え方も、コントロールできると思っています。
もう少し厳密にいうと、複数持つことができる、という感じ。
例えば同僚のミスによって迷惑を被ったとき、「なんだよ、ふざけんなよ」という怒りに囚われた見方だけをするのではなく、「どうしたら今後ミスを減らせるかな。そのために自分ができることはなんだろう。」と分析する視点を持っておくことで、より生産的に相手と関わる可能性が生まれます。
起こっていることを少し俯瞰してみるメタ的な視点も持つことで、一時の感情に流されずに、自分がコントロールできること、変えていけることを見極めることができます。
手放すことで見えたもの
ここで表明した「手放していく」という態度も、「自分が大切にできること、コントロールできることはそんなに多くない」という前提から来ていて、「自分への期待」を手放しているとも言えます。
そして、「何かを手放す」ということは、「何かを大事にする」ということでもある。「何かを選ぶことは何かを捨てること」ならば、その逆も然りです。
手放すことを明確にしていったことで、自分が大事にしていきたいことが見えてくる。それが、「手放す」ことの一番のメリットなのかもしれません。
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写真はフィンランドの夕焼け。太陽と森と湖。シンプルだからこそ、とても美しい。
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cotree advent note 68日目(多分)
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