徹底的に思い込んだ、僕の受験生時代。ここは志望校じゃない、母校だ。
1枚の懐かしい写真がある。高校2年の12月に、志望校の正門の前で撮った写真だ。しかし左上には、その2年後の4月の日付が入っている。これは、僕の受験を支えてくれたお守りだ。noteのお題「 #こうして私は受験を乗り越えた 」の力を借りて、綴ってみる。
志望校が母校になるよう、今、必死で生きている人に、伝わりますように。
***
高校2年の12月、突然、父が僕にこう言った。
「今度の週末、札幌に行こう」
その頃僕は、札幌にある大学を目指していた。周りからは、難しいと言われることが多かった。模試を受ける度に、結果はいつもE判定。たまにもらうD判定に希望を見出していた。「無理難題なチャレンジをするより、現役で狙えるところを狙ったらいいのに」という声を聞くこともあった。
そんな中、突如として出てきた父の一言。特急で東京に出てから飛行機に乗るという旅程を思い、「正気か?」と思った。しかし、彼の意図は、「息子に、志望校の空気を吸わせてやろう」ということだった。
はじめての父との二人旅。新千歳空港に降り立った時、ピンと立った冬の空気を味わった。はじめて、憧れの北海道の土地を踏んだ。足元の雪が、キュッキュッとなる。北海道の、乾いた冬の冷たい空気を、思いきり身体の中に取り込んだ。
札幌駅に着いた。転ばぬよう、雪道を歩く。夢にまで見た志望校の正門が、見えてきた。
そうして撮った写真が、この写真だ。
この小さな旅は、僕に大きなインパクトを与えた。ぼんやり描いていた夢は、諦めたくない夢に変わった。
***
帰ってから、この写真を、自分の机の上に飾っていた。
いつ、何がきっかけだったのか分からないが、この写真の左上に日付を入れたのだ。それは撮った高校2年の12月の日付ではなく、それから2年後の4月の日付。つまり、僕が高校を卒業する翌月の日付だ。
「高校を卒業した翌月、僕はこの学校に入学したい」その猛烈な願いを、日付に込めた。
***
それからも、なかなか受験勉強はうまくいかなかった。苦しんだ、足掻いた。模試の結果に一喜一憂した。たまにB判定が出ることがあっても、模試の結果は安定しなかった。僕の周りは、推薦で合格していく友人も増え始めた。自分のこの挑戦に、何の意味あるのか?足掻いた。
そんな中、支えになったのが、この写真だ。
やっぱり、行きたい。
***
絶対的な自信などない中、でも、この写真を信じて、あの2年後の2月25日の朝、再びこの正門をくぐった。受験票とこの写真を携えて。
試験が終わった。すっかり日が暮れてホテルに戻る道すがら、不思議と、もう一度この正門をくぐる気がした。
***
その翌月の3月のある日、再びこの正門に来た。手にしていたのは、札幌中央郵便局から届いていた、合格通知書だ。
志望校が、志望校じゃなくなった。母校になるんだ。
そういえば合格発表の朝、届いた封筒をビリビリに破き、中に包まれていた書類を急いで確認したのを覚えている。もはや、お行儀よく丁寧に封筒を開けるような自分じゃなかった。
***
徹底的に思い込んだらいい。徹底的に信じたらいい。その志望校は、母校になると。それは無料だし、無害だ。誰に迷惑をかける話でもない。
自分が本当にやりたいなら、徹底的にやったらいい。
自分の中に、自分を応援する自分がいるから、必ずいるから、つながってほしい。そう思う。