現状が変わらなくみえても
私はきっと漠然とした"みんな"より少し物事の音量が大きく聞こえている、それに気がついたのはここ数年で
学生時代は自分が何に苦しめられているのか分からなかったし、感じられても感情が先走り言語にすることも容易くはなかった。そのせいで苦労させてしまった人も多くて あの頃そうするしかすべがなかった自分の言動にうわぁぁとジタバタしたくなる。でもよくぞ越えてここまできたなと自分自身に賞賛を贈りたくなる。
無音のイヤホンやヘッドホン越しに聞こえる話し声や音が私には丁度良い。
同じ空間にいる人が暇を持て余して指でいじるプラスチックの切れ端や、忙しなく動き回る空気の流動に耐えられなくなったり 体の温度を勝手に上げたり下げたりしては私を惑わす厄介者にやられっぱなしではなく、倒れ始めたジェンガを先回りして止められるようになって 全てが台無しになることは殆ど無くなった。
それでもまだ私が全然わからなくて、心地良く過ごせる方法を手探りで探してる日々は変わらない。
しかし年を追うことは私にとっては楽になる方法であり、毎年1個でも学んで楽になる。出来ないことが多かった私だからここからは手に入れていくだけ。
未来が楽しみだ。