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【読書感想文】同志少女よ、敵を撃て 〜少女は何を撃たなければならなかったのか?〜

今回、初めて小説の感想文を書く。
作品のタイトルは『同志少女よ、敵を撃て』。
逢坂冬馬氏による小説だ。
この作品は第11回アガサ・クリスティー賞大賞および2022年本屋大賞を受賞し、広く知られた有名な作品である。



あらすじを載せてあるので
ざっくりした内容はそこをみてください。

私は心理戦要素がある小説が好きなので
面白かったし、下記のような要素が好きな方は是非おすすめしたい一冊です。

心理戦要素が好き

史実に沿ったフィクションが好き

 下の画像のような強い女性が好き




 あらすじ

1942年の独ソ戦を舞台に、モスクワ近郊の村で暮らす少女セラフィマが、母を殺したドイツ人狙撃兵に復讐するために赤軍の女性狙撃兵となり、戦う姿を描いた物語。セラフィマは、イリーナという教官のもとで訓練を積み、やがて一流の狙撃兵へと成長していく。しかし、戦場で彼女は、戦争の残酷さと、戦う意味について思い知らされる。         

      



      

セラフィマが撃つ『敵』

本のタイトルの通り、この小説の大筋は主人公セラフィマが狙撃手として『敵』を撃つことだ。 
では、そのセラフィマが撃つ『敵』とは誰なのか?その紹介をまずはしようと思う。
そこで、『具体的な敵』と『抽象的な敵』の2つに分けて考えてみた。


明確な敵

セラフィマにとって具体的な敵として書かれているのは『ハンス・イェーガー』と『イリーナ』の二人と考えた。

ハンスイェーガーはドイツ軍側にいる狙撃手だ。 セラフィマの故郷で母親を狙撃した張本人であり、親の仇である。

なので当然セラフィマは戦争でハンスを殺すことを目的の1つにしているし、あるきっかけで、仇の名前が分かってからは戦場でハンスを明確に狙い始める。

ハンスは作中で『ただ敵を冷徹に撃つ職人としての狙撃兵』と書かれている。
頭が切れる手練である。
狙撃手同士の戦いはいかに相手を『動かす』かの戦いになると表現されている中で、そのためならドイツの子供を囮にさえ使う事さえする。


イリーナは、ソ連女性狙撃手訓練校の教官で、凄腕の狙撃手。
仲間の男性ソ連兵に恐れられているほど冷徹で甘えを許さない態度と性格を持っている。
過去に指を失う負傷を追った為、今は戦線から離れ、狙撃手を育成する立場に移っている。

セラフィマを戦場に駆り出した張本人で、セラフィマは戦争が終わったら殺すと言っている。

なぜセラフィマが殺意をもっているのか。
それは故郷の村がドイツ兵に襲われた時の態度と行動が原因である。
故郷を壊滅させられ、母親を眼の前で殺されたばかりのセラフィマを前にして
思い出の品を叩き割る、捨てる、更に母親の遺体をろくな弔いもなく火をつけて燃やした。
さらにその上で、ここで死ぬか、戦うかと容赦ない選択を迫った。


抽象的な敵

次に抽象的な敵として書かれているのが『フリッツ』と『女性の敵』だ。

フリッツはドイツ兵に対するソ連側の通称だ。
ここだけはネタバレになるがセラフィマはしっかりとフリッツを撃つ。最初こそ躊躇するものの、物語中盤以降は『スコア』扱いされている。


『女性の敵』については、イリーナの『お前は何のために戦うのか』という問いかけに対するセラフィマの答えだ。

戦争では女性が拉致、凌辱の犠牲になりやすいのは、ある程度歴史に関心がある方なら想像がつくと思う。
戦争ではレイプすら肯定される、というより男たちで無理やり肯定しているのほうが正しいと思う。
これをよく表しているセリフがあるので抜粋する。

「兵士たちは恐怖も喜びも、同じ経験を共有することで仲間となるんだ。……部隊で女を犯そうとなったときに、それは戦争犯罪だと言う奴がいれば間違いなくつまはじきにされる。上官には疎まれ、部下には相手にされなくなる。裏を返して言えば、集団で女を犯すことは部隊の仲間意識を高めて、その体験を共有した連中の同志的結束を強めるんだよ。」

「悲しいけれど、どれほど普遍的と見える倫理も、結局は絶対者から与えられたものではなく、そのときにある種の『社会』を形成する人間が合意により作り上げたものだよ。だから絶対的にしてはならないことがあるわけじゃない。戦争はその現れだ」

  これを女性が聞いたら当然ふざけるな!となる。セラフィマも、セリフを聞いたあとで

女を犯すことが同志的結束を強める。比喩ではなく、明確に吐き気がした。

と、表現している。

男性と比べるとどうしても戦う能力が低くみられがちの女性。
しかしその女性が戦場で戦う能力
それも並の一般兵以上の能力を持っているなら
セラフィマのようにその力で女性を守りたいと思う人が現れるのも分かる

 以上が私がこの小説でセラフィマが撃つべき『敵』と解釈した人たちだ。
彼らを撃ったのかい、撃たなかったのかい、どっちなんだい?!









それは、実際に読んで確かめてください。


『ママ』に感情移入

  次に、個人的に感情移入して読んでいた登場人物がいるので紹介したい。それがヤーナである。

ヤーナは、セラフィマの仲間で、狙撃訓練学校で出会う。

 仲間の女性の中では最年長28才で
部隊内で『ママ』の愛称で呼ばれる。
愛称の通り、母親の目線で戦場を見ている節があり
それはセラフィマと同様に、イリーナに戦う理由を問われたときの

 『子どもたちを犠牲にしないために戦う』

 という返答がよく表している。

 なぜヤーナは、子供の為に戦うのか。
それは過去の戦争で自分の子供を亡くしていることが原因だ。

戦争で犠牲になる子供を一人でも多く救いたい。
それは国境も関係ない。
境界線がない母性をもって、子供に笑って元気に育ってほしいという願いのために戦っている。

そんな『ママ』の心に私はすごく共感した。
それは
私が子供を授かってから他人の子に対してもできれば幸せでいてほしいという思いが生まれた感覚に近いと思った。
親になった方なら私のように『ママ』の気持ちがわかる!っという方も少なくないと思う。



やっぱり戦争に『絶対的正義』は存在しない

この小説は主にソ連とドイツの戦いが描かれている。

主人公がソ連側なので、ソ連側の描写が当然多い。

しかし、ソ連=完全な正義として書かれてはいない。

どちらの目線にもより過ぎず、戦争の悲惨さや人間の悪い面を浮き彫りにさせてしまう特殊な状況を表現していたように私にはみえた。

兵士同士の会話や、戦場での振る舞い、ソ連もドイツも行っていること(主に道徳的にはNGなこと)を客観的な目線で書いている印象があった。
国は関係なく、現場レベルで行われていたレイプなり、非人道的な尋問なりの
戦争で起こる人間の悪い部分が見えるように書かれている。

 主人公が女性のためか、特に男性から女性に対するひどい扱いを嫌悪する描写が多かった印象だ。

やはり
戦争では絶対的正義なんて 無いんだなと
改めて考えさせられた。        


まとめ

この小説は
戦争で戦うことに巻き込まれた
主人公セラフィマの目線で
戦争の中で女性がどういった立場に立たされていたのかを教えてくれるオススメの小説です。

出てくる登場人物の中に一人でもいいので
感情移入して読めるとより楽しめると思います。

最後に1つ

セラフィマが狙撃時に口づさむ『カチューシャ』というロシア民謡は、あらかじめ聞いておくと、脳内再生できると気持ちが上がるのでおすすめです。
(下のリンクからYou Tubeへ飛べます)


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