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五感を満たす小さな体験が、日常を豊かにする。 Interview 幅允孝さん 後編

東京と京都で二拠点生活を実践されている、ブックディレクターの幅允孝さん。後編では、京都でのくらしの中で感じた、ほっとあたたまる人と人とのつながり。テクノロジーの発展によって、いつでもどこでも情報にアクセスできる時代にあえて、からだを動かし、場を訪ね、五感で体験することの人間的価値。本への愛情に溢れる幅さんならではの視点から日常を豊かに過ごすヒントを伺いました。

>前編は、こちら。
自分が自分であるための、能動的90分間。


二階の居住スペース。一本桜が鎮座する、見事な景観を切り取る窓が魅力的。

後編では、京都のおすまいでの日々のくらしについて改めてお聞かせください。そもそも、二拠点目を京都にした決め手は?

幅さん(以下、幅):最初は長野や富山など、都心から2時間程度で往来できる場所をイメージして家を探していたんですけれど、ちょうどその頃に「こども本の森」という、建築家の安藤忠雄さんが設計・寄贈された大阪の中之島神戸の図書・文化に関わることになりました。僕たちの会社も共同で指定管理者として運営を担うことになり、頻繁に通うことになるなら関西方面もいいなあと。もちろん、大阪や神戸もいいところなんですけれど、昔からの知人・友人も多いし、お気に入りのごはん屋さんも多かったので「うん、京都でしょ」と。

― 京都といえば、古くからの地縁が強いエリアというイメージもありますが、実際に住まわれてみて、いかがですか?

幅:やっぱり東京から縁もゆかりもない人が急にやって来て、何か施設をつくっていると聞けば「何だ?」と思われるかなと、はじめは思っていました。そこで、地鎮祭と竣工のときに町内会長やご近所の方にご挨拶に伺って「こういう図書室と喫茶をやるんです」と説明したところ、「町のみなさんに知ってもらうのもいいんじゃないですか」という話になって。ご近所にポスティングをしてオープンデーに来ていただいて、珈琲をお出ししたり、家や本のご案内をしたり。そしたら、みなさんとてもあたたかく受け入れてくださって。いわゆる“いけず”な人は全くいません(笑)。

窓辺にはカーテンの代わりに外付けのアルミブラインドを設置して自然光を生かすなど、
細部にも心地よいすまいへのこだわりが感じられる。

― そういったご近所付き合いも、東京では少ないですよね。

幅:僕自身、そんな人付き合いが本当は欲しかったのかなと、ここに引っ越してきて特に感じています。先日、僕がインフルエンザにかかってしまって。自治会で行っている公園の清掃に妻がひとりで参加したときに、ご近所さんにその話をしたら「柚子湯、温まるよ」って柚子を持って来てくださったんです。この関係性は、東京のマンションではなかったなあと。人とのお付き合いやご縁って、やっぱりいいものです。

― なんて、やさしい世界なのでしょう…! ご近所同士でさりげなく支え合う関係性がとても素敵です。

幅:そのお気持ちが本当にうれしかったですね。そのほかにも、京都には「地蔵盆」という、お盆の時期に地域のお地蔵さまを近所の子どもたちが清掃して飾りつける行事があって。自治会では、参加した子どもたちにお疲れさまの意味でプレゼントを渡すんですけれど「今年は本を贈りたいから、選書してくれないか」とご相談いただいたんです。もちろん、よろこんでお引き受けしました。子どもたちのために十数タイトル選んで、夏の熱波の中、公園で一冊ずつ解説するブックトークを(笑)。

― すっかり地域に馴染んでいらっしゃいますね。 現在は東京と京都、どれぐらいの割合で行き来されているんですか?

幅:7:3の割合で、京都が多いですね。最近はできるだけ早くこっちに帰って来たい(笑)。東京のマンションにもベッドや家具、本もたくさん残してあるし、東京は東京で好きなんですけれど、環境的にはやっぱり京都にいるときの方が、地に足を着けていろいろと考えることができる気がします。

場所はメディア。からだを運んで、五感を総動員してこそ、得られる価値がある。

天井に向けてアールを描く漆喰壁。
夜は月明かりや間接照明の小さな光が室内を優しく照らす。

― 全国各地への出張に加えての二拠点生活。それには多くの移動を伴うと思いますが、幅さんご自身、旅や移動をすることをどのように捉えていますか?

幅:日頃からたくさん移動しているので、最近は「動きすぎは、ちょっと疲れるなあ」と感じるように。なるべく日帰りはやめて、その地域のおいしいものを探したり、のんびりと過ごすようにしています。
特に東京だと飛行機の便数も多いので、日帰りでどこでも行けちゃうじゃないですか。京都だと、伊丹空港までも距離があるし、このごろは便数も減っているから出先で一泊せざるを得ないことが多いんですけど、それがいいなと感じています。

― せっかく行くなら、その土地らしさを感じて帰りたいですよね。

幅:移動が便利になればなるほど、動いている実感はどんどん抱きにくくなる。そこを意識して“動く”ということになるべく敏感でありたいと思っています。それぞれの地域の気候や自然、光の感じなど。太平洋側と日本海側、瀬戸内海といった分け方でも、それぞれ違いますよね。そういった風土をちゃんと見るように心掛けたいなと。

ー それこそ、前編ではテクノロジーと人間性のお話もありましたが、今はWEB上で検索すれば世界中の景色だって簡単に見られる時代。それでも、やっぱり実際に行ってみないと感じられないものってありますよね。

幅:それは間違いないですね。最近、僕が思うのは「場所はメディアだ」ということ。やっぱり“場”から伝わる情報量って多いんです。もちろん、映像や写真でも見ることはできるけれど、からだを運んでその場を訪れて、五感を総動員して感じることが大切なのだと思います。

ー 「n'estate」も、すまいという場を意識的に変え、くらしの視点を変えることが、人生の可能性を広げるきっかけになればとサービスを提供しています。幅さんは、いろいろな場所で人と本が出会うきっかけをつくっていらっしゃると思いますが、場に合わせてどういった基準で本をセレクトされているのでしょうか。

幅:本を選ぶときに大切にすることは、それぞれの場所を僕たちなりに解釈して、その場に最も相応しい本を差し出すということ。自分の好きな本を持って行くだけではおせっかいにしかならないので、本を置こうとしている場所にくらす人たちの話を聞いて、どんな要素が本棚にあればいいのかを探っていきます。

ー n'estateの滞在拠点のひとつでもある「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE(スイデンテラス)」にも幅さんが選書された本棚があって、滞在する人たちが自ずと本を手に取って読書に没頭している光景がとても印象的でした。

幅:スイデンテラス、いいところですよね。
没頭といえば、本は読んでいる時間を自分でコントロールできるのもいいところ。今は、動画配信サービスも充実していて、コンテンツは止めどなく再生されているから、ぼーっとしていても情報が自分に注ぎ込まれる。その点、本は読まないと進まない。読んでいる途中で止まって考えたり、戻って読んでみたりというのは、自分でコンテンツをコントロールできる状態。意識のかなり深いところに潜って読めるし、本を読んでいるようで自分との対話でもある。自分を相対化して何かを考える余白が、今のコンテンツカルチャーには少なくなっているので、本にはまだその隙間があるのがいいところかなと思います。

二度と同じようには読めない、一期一会の出会いがあるから読書は面白い。

二階へと続く階段の途中にも本がぎっしり。
漫画やサッカー関連の本など、幅さんの趣味が垣間見えるラインナップも。

― 本を読んでいる途中で手を止めて「はー、そうかぁ」と、その感情を反芻したくなるような瞬間って、たしかにありますね。

幅:あれは、本を読んでいるというより(文章が)自分に戻ってきて、打ち返されている感覚がありますよね。僕もその感覚が、結構好き。
その点、動画コンテンツなどは、どうしても結論だけを先に求めてしまう。マラソンに例えると、号砲を聞いてスタートした後、ゴールテープを切るところしか経験していない。本来は、その途中のツラい場面が一番の見所だったりするのに、スタートやゴールだけで本当に面白いのか。「この本、読み進まないな」「何だか合わないな」といった経験も含め、そのプロセスそのものの意味や価値を楽しみたいわけです。

今回、家を建てる際にもたくさんの本を参考にしたという幅さん。設計を手掛けた建築家の堀部安嗣さんについても「彼の書く文体が好きだったんです。内容はもちろん、文章やリズム、言葉の選び方とかで『家を建てることがあれば、この人がいい』と思っていました」。

ー それもまた、本の面白さですよね。少し時間を置いて寝かしてみたり、場所を変えてみると、するりと読めたりする。本を読むことが、自分と向き合う行為だというお話も、とても分かる気がします。

幅:あれって、不思議ですよね。さきほど、場所を変えることで生活や価値観が変わるかもしれないという話をされていましたが、僕は本も「二度と同じようには読めない」とよく言っています。同じ本でも、読む場所や読む自分の心の動き、そのときどきで情報の受け取り方が全然変わってくるし、そういう一期一会の楽しみがありますよね。

― お話を伺っていると、幅さんは本当に本がお好きなことが伝わってきます。本好きなのは、幼少期からですか? 

幅:そうですね。当時、我が家のお小遣いは“本だけ別”制度だったんです。だから、お小遣いが無くなると実家の近所にある本屋さんによく足を運んでいましたね。そこではツケで本を買わせてくれるんですよ。要は、小さな本屋のコミュニティ。「あー、幅さんところのお子さんね。はいはい」ってツケてもらって、月末になると母が代金を支払いに行く。小さな町のコミュニティだからこそできたことだと思いますが、子どもって意外と親の顔色を見て本を選んだりするから、そういったことを全く気にせず、自由に本に触れることができたのが、今思えばすごくよかったですね。

― とても得難い、素敵な体験ですね。思えば本には、紙の質感、触り心地、色、重たさや分厚さ、ページをめくるときの感覚や音、紙のにおいなど、五感を刺激する要素がたくさんありますよね。大人も子どもも、本に触れる機会が少なくなってきている今こそ、本との出会いにワクワクできるような瞬間をもっと体験したいものです。

幅:その点、「鈍考」は僕が今考えうる読書環境の理想を体現できる場所。本を読んだり、珈琲を飲んだり、日の光や温度を感じたり、五感を全開にして本を手にとる楽しさを少しでもみなさんと共有できたら僕もうれしいです。公共の図書館などとは違い、小さな空間なので一度に体験していただける人数は限られていますが、それでも確実に“本を読む”ことの悦びを感じてもらえる場所をつくることができて、よかったなと思っています。

― 最後に、幅さんの「旅や移動のお供」をご紹介いただけますか?

幅:やっぱり、本ですかね。「n’estate」ユーザーのみなさんにおすすめするなら、アラン・ド・ボトンの『旅する哲学 ー大人のための旅行術』を。
アラン・ド・ボトンは哲学者なのですが、旅をすることの意味、意義を哲学として語ったエッセイ。なのに、いきなり冒頭で「動かない、頭の中で旅するという旅が一番いいんじゃないかという人もいる。その一方で、ちゃんと動くとはどういうことなのか」とか問い始めちゃう(笑)。日常脱出や自然と向き合うこと/そこで「ものを見る」とは、どういうことか/帰宅後の楽しみといったように、旅をいくつかのファクターに分けながら「我々はなぜ旅をするのか?」ということを一冊を通じて教えてくれる名著だと思っています。

『旅する哲学 ー大人のための旅行術』 アラン・ド・ボトン著/集英社

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Photo: Ayumi Yamamoto

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