見出し画像

学び直しウェルカムなアメリカで、 学び直しにチャレンジした話

半年間、スキマ時間限定ではあるが日本語断ちをしていた。それくらい英語学習が停滞していたし、だからこそ真剣に向き合えたんだろう、と今なら素直に思える。

多くの人が言うように、アメリカに住んでいるだけで英語力が劇的に向上するなんてことは、ほぼ不可能だと思う。

いまどき、分からないことがあってもネットで調べればたいていのことは解決できるし、Google翻訳やGoogle Mapのクオリティだってだいぶ向上している。セルフレジを使えば一言も話さずに買い物だってできちゃう時代だ。

学生さんや会社員の方でもない限り、自分で環境を作って、時に自分を追い込んだり奮い立たせたりしながら、その習慣を継続していく必要がある。少なくとも私はそういう努力の必要な人間だった。


アルゼンチン人の友達が力説するボストン1美味しいというベーカリーClear Flour Bread。
いつも行列。ジャムクッキーがお気に入り。

❍なぜ英語を学び直そうと思ったか

海外転勤する夫に帯同して渡米するにあたり、英語を学び直そうと思った理由は3つだった。

1つ目は、子供の担任の先生と円滑にコミュニケーションを取るため。これまでと全く異なる環境、しかも自分自身も未体験な世界のため、どんなルールで運営されているのか見当もつかない。保護者会での先生の説明を理解することはもちろん、親として先生とのコミュニケーションは不可欠だと感じた。

2つ目は、子供の友達の保護者とコミュニケーションをとるため。放課後に小学生が「ただいま~!ちょっと〇〇くんと公園で遊んでくる」なんてことはアメリカではありえない。子供だけの外での単独行動は基本NGになっている。

そのため親同士が事前に相談・スケジューリングをして、たいていどちらかの自宅で遊ぶことが多いので、お邪魔する側は当日の送迎(場合によっては付き添い)もする必要もある。あらかじめお友達の保護者と連絡先を交換しておかないと、子供同士がいくら望んでも放課後や週末に友達と遊ぶことが難しくなる(しっかりした女子同士だと自分達である程度調整できるのかもしれないけれど、我が家ではそれは難しかった)。

3つ目は、病院や銀行、役所などで何か要求したり掛け合う必要のあるとき、それなりに対応できるようになるため。これは新米渡米者には結構切実。専門用語も飛び交うなかで全てを理解するのは難しいけれど、最低限「自分に今何が必要で、そのために何をすべきか」を尋ね、「何が分かって何が分からない」を伝えられるくらいのコミュニケーション能力を備えていたい。何も主張できなければ、生活に必要なものが得られない。これは精神的ダメージがまじで大きい。

中国人クラスメイトチョイスの中華レストランにて。彼女が「食べるべき」と注文した北京ダックならぬ、上海ダック。

❍アメリカならではの?大人の学び直しスクール

昨年9月初めから今年の6月末まで(いわゆるアカデミックイヤー)、市営の教育機関のESOLクラスに通っていた。6月に開催された卒業式には90名ほどの卒業生が参加し、市長のスピーチもあるなどなかなか盛大だった。

その教育機関は主に、非英語圏の国からの移住者(成人)の学び直しや就労をサポートするスクールで、英語を学ぶESOLクラス以外にも、認定看護助手などの専門職養成のクラス、高卒認定のような資格の取得や大学進学(試験や論文など)をサポートするクラスなどもある。

基本的に税金で運営されており、受講資格を備えた市民であれば、全てのカリキュラムが無料で受講可能だ。さらには後援会が運営する大学奨学金制度もある。幅広い国籍&年齢層(リタイヤ世代も)の生徒たちが通学していて、まさに大人の学び直しウェルカムな雰囲気。

卒業式の日、母国で十分な教育を受けられなかったコートジボワール出身の女性が、母国では諦めていた大学進学という選択肢をこのスクールのおかげでゲットできたとスピーチし、客席は拍手と声援で沸き立っていた。彼女は一児の母でもあった。

❍ESOLクラス初日、いばらの道はじまる

さて、私自身の実際の学び直しの様子を、少しご紹介しよう。

授業初日、教室へ足を運ぶ感覚の懐かしさのあまり、若干の眩暈を覚えながら席についた。するといかにも厳しそうなアメリカ人の高齢女性の先生が鎮座している。彼女は授業が始まると、ものすごいスピードで話し始めた。「え、、?」と頭が真っ白になる。

初日、私は先生が何を話しているかほとんど聞き取れなかった。とりあえず出された宿題の内容をおさえるのに精一杯だった。

クラスメイトは15人ほどで9割が女性。午前クラスなので主婦が多く、8割は母親だった。ほとんどが配偶者の仕事の都合で渡米していた。多少の入れ替えはあったが、チリ人、ブラジル人、タヒチ人、ポルトガル人、ウクライナ人、ロシア人、カタール人、ソマリア人、中国人、韓国人、日本人などが机を並べる、文字通りダイバーシティな環境。

すでにこのスクールに入学して2年目や3年目の生徒さんも何人かいて、流暢に喋れる人もちらほら。週3日(各3時間)の授業に加え宿題や小テストもあり、遅刻や欠席が多いと除籍される。年間通して2割くらいのクラスメイトはドロップアウトしていった。

振り返ると当初は授業のたびに嫌な汗をかいていたグループディスカッションで、めちゃくちゃ喋れる子と組んで、私の拙さが原因で議論が盛り上がらない時なんて、もう針のむしろ。
一度、クラス1流暢なチリ人とブラジル人と組んで「世界遺産を海外へアピールするために、あなたの国の政府はどんな活動をしているか」というお題のディスカッションがあって、「え??『ホームページで宣伝してる』の一言で終わっちゃうんだけど。。汗」と思ったことしか覚えていない。

そもそもスピーチ慣れしていないのだろう。自身の社会的な見解をオフィシャルに長文で伝えるという訓練が足りていない。プラス、日本が外へ向けて何を発信しているか、どんなアクションをしているか、日頃から俯瞰して捉えられていない。英語力はおろか、二重三重に自分の足りていないものが見えてしまい、気が遠くなった。今思うと様々な気付きをもらえた貴重な学びの場だったけれど、当時はいっぱいいっぱいだった。

でもこうやって心をへこまされる体験が、英語を勉強しようという原動力になっていたと思う。

ブラジル人の子がバーベキューの時に作ってきてくれたブラジル人がよく食べるブリガデイロというスイーツ。ひたすら甘い!!

❍半年間、日本語断ちをしようと思った理由

クラスメイト達とディスカッションする環境に徐々に慣れてくると、英語での会話が苦ではなくなってくる。でもその後に日本人の友達と日本語で話しこむと、その心地よさに簡単に引き戻されてしまう。その状態からまた英語環境へ戻ろうとするとひと苦労。その状態に少しずつ億劫さを感じるようになった。こんなふうに行きつ戻りつをしていると、上達にものすごく時間がかかるんだろうな、という実感があった。

実際のところ、家族と母国語で過ごすバケーション明けの授業では、クラスメイトがみんな取り戻しに苦労する様子が見て取れた。でも家族と暮らしている以上、その環境を変えるのは不可能に近い。

そこでせめてスキマ時間を極力英語環境に変える手段をとってみた。スマホ時間も積み重ねると結構な時間になる。心地よい日本語環境に入り浸る習慣を断つことで、英語で読む聴くのストレスを減らしていく意図だ。

1)読む
スマホで日本語の記事やコンテンツを読む習慣を一時断つ。

2)聴く
家事中に聴く音楽や動画を英語にする。
3)コミュニケーション 
英語しか通じない友達と意識的に過ごすようにする。

そんな風に過ごして何とか食らいついてたら、だんだん先生の話をクリアに聞き取れるようになったのだから不思議なものだ。「聴く」ができると会話やコミュニケーションはだいぶ楽になる。その後は落ち着いてコミュニケーションをとれるようになり、スピーキングも少しずつ伸ばせた。

そして無事に卒業を迎え、卒業とともに子供達の夏休みも始まり、今は。。日本語断ちも解禁し、一気にどっぷり日本語モードに戻ってしまった。英語フレーズがスムーズに出なくなっている。また夏休み明けから頑張ろう。

韓国人の子に作り方を教えてもらったキンパ。「具材が多すぎておさまりきらなかった」と話したら、キンパはお米の量が少なくするのがコツと教えてくれた。

❍日本人は英語の勉強時間が足りてない?

日本人の英語が上達しないのは、実は英語にかける勉強時間が圧倒的に足りないという意見もある。アメリカ合衆国国務省の公式サイトでは、外交官が各国の言語を習得するのにどのくらいトレーニング時間が必要かを、言語の難易度別に公開している。日本語は最難関の言語「Super-hard languages」に位置付けられていて習得には88週・2200時間のトレーニングが必要とされている。ちなみに日本で小学校から大学までに受ける英語の授業時間は累計1052.1 時間*と言われているので、社会人になってからはプラス1000時間強の学習が必要とも考えることができる。あくまでひとつの目安ではあるが、学校で受けてきた授業だけでは到底足りないと肝にめいじておくことで勉強が苦でなくなる。

これからもめげずに勉強しようとは思っている。けれど、1年目のようにガチガチではなくて、もう少ししなやかに取り組んでいければいいなと思っている。英語での読書が楽しくなってきたのでそれを続けるとか、料理を通じて異文化交流するとか、英語で日本のPR活動をするとか、英語学習にプラスアルファの楽しさを見つけたい

❍アメリカでの学び直しで得られた副産物

いまも時々、授業や先生、そして机を並べたクラスメイト達が恋しくなることがある。このクラスを通して様々な国のクラスメイトとつながり、ともに卒業まで頑張り抜いたことで絆を深めることができた。

彼女たちの言葉には、計り知れない奥行きと引力があった。

「実はラマダン後の盛大なお祭りが楽しみでファスティングを頑張ってる」と話していたソマリア人のクラスメイト。

授業で先祖の議論をしていたときに「私の先祖は実は奴隷だった」と不意に皆に告白してくれたブラジル人のクラスメイト。

「爆撃で両足を失ったウクライナの子供が底抜けに明るくて、彼女こそ世界一勇敢な人間だと思った」と話してくれたウクライナ人のクラスメイト。

クラスメイトの何気ない話に興味を惹かれ、その国の文化や歴史を学んだ。それは日本で学んだ価値観や見聞きしていた知識で築いた、小さく窮屈なハリボテの世界を一瞬で打ち破るほど刺激的で、色々な知識がどんどん繋がり広がっていく感覚がひたすら楽しかった。

アメリカの一番の魅力は「人種のサラダボウル」(今は「人種のるつぼ」とは言わないらしい)のスピリットだと思う。色々な国の人がそれぞれに大切な価値観を抱えて、互いに尊重しながら生きていこう。お互いが違うことは豊かで尊い。

そんな学びの副産物も体感させてもらえたアメリカでの大人の学び直しだった。


※サムネイル写真はアメリカ独立記念日の花火。日本の花火と全く同じなので、まるで東京湾の花火大会に来ているような気持ちに。

授業最終日はみんなで郷土料理や手作りケーキ、スナックを持ち寄った。
中国人お手製の海老とセロリの餃子がめちゃくちゃ美味しかった。

※日本人の英語学習時間について -これまでの学習時間とこれから求められる学習時間-「日本の教育機関における英語授業時間数」file:///C:/Users/ohsug/Downloads/baric_2018_11.pdf

いいなと思ったら応援しよう!