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黒猫のミリー【vol.2:永井のばあちゃん】

永井ながいのばあちゃんは、ちょっとふうわりなおばあちゃんだった。

毎朝5時になると決まって赤林あかばやし公園に現れ、ノラ猫たちにえさを振る舞う。祝日も雪の日も、その習慣しゅうかんを欠かしたことは一度もない。

ミリーも、ばあちゃんのえさにありつく"常連じょうれん"に3日前から加わった。そこで出会った古株ふるかぶのトラ猫、蔵之介くらのすけが得意げに話す。

永井ながいのばあちゃんの玄関には、俺達のめし残飯ざんぱんがたくさん置いてあるから夏場はたまににおうらしい。だから近所の人がしょっちゅう文句を言いに来るんだ」

ミリーは少し不安になった。ばあちゃんはこれからもご飯を持って来てくれるだろうか。

ばあちゃんには成人した息子むすこが2人いる。でも息子の家族は家に寄り付かない。昔ばあちゃんでお孫さんがひどい"猫アレルギー症状しょうじょう"を起こして以来、パタリと来なくなってしまった。旦那さんとは4年前に死別しべつしている。

ばあちゃんは、やわらかい顔立ちをしている。昔はとても優しい素敵なお母さんだったんだろう。今ではいつもこまったような表情ひょうじょうを浮かべ、人と話すこともない。ただノラねこたちがえさを食べている時にだけ目にかすかなひかり宿やどる。その変化をミリーは見逃さなかった。

から症候群しょうこうぐんて、知ってるか?」
蔵之介くらのすけは続ける。

人間にんげんの母親は、子供が成長してつと、心が折れちまうことがあるんだ。成長せいちょうよろこびつつも、突然とつぜんおとずれる"わり"に心が追いつかない。人によっては、そのままうつ病という病気を引き起こしてしまうことだってある。子供が独立して、旦那さんにも先立たれて、永井ながいのばあちゃんは、"わり"を受け入れることに疲れてしまったのかもしれないな」

目にひかり宿やどす時、ばあちゃんは何を見ていたんだろう。えさを喜んで食べるノラねこたちの姿に、充実した子供たちとの日々が重なったのだろうか。二度にどと戻らないうつくしい瞬間を。

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街によるしずけさが広がると、ミリーは野原のはら全力ぜんりょくけ抜ける。

風が顔を吹きつけ、轟音ごうおんが耳元に響く。足裏には大地だいちの感触がリズミカルに伝わり、地面がすべるように遠ざかっていく。湿しめった土の香り、木々の青々あおあおとした匂いが混ざり合って鼻孔びこうをくすぐる。全身の感覚がまされると、世界があざやかにせまって、生きてると感じることができた。

ミリーは、夢中むちゅうで風の中を突き進んだ。こんなに自由で身軽なのは、ずいぶん久しぶりな気がする。

のぼり始めると、ミリーはゆっくりと足を止めた。東の空に柔らかなだいだい色が広がり、ミリーを静かに包み込む。なぜか懐かしさが込み上げ、涙がポロリとこぼれた。気が付くと朝焼けは消え、新しい一日が動き始めた。

永井のばあちゃんの公園へ向かう途中、ミリーは先日の白猫を見かけた。白壁の古い家の中をじっとのぞき込んでいる。壁一面につたが絡まり、誰も住んでいないようだ。

ミリーはしばらく迷った末、そっとその場を離れた。


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