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【歴史概要116】三十年戦争

①1617年にフェルディナンド2世(1619年には神聖ローマ皇帝)が
ボヘミアの王に即位するとカトリックを強要した。
ボヘミアの新教徒はプラハ王宮を襲撃した。

②国王の顧問官3人を窓から突き落とす事件が起こった。これがプラハ窓外放擲事件である。反乱を起こした諸侯らは団結してファルツ選帝侯のフリードリッヒ5世をボヘミア王に擁立した。

③第1段階ボヘミア・ファルツ戦争がスタートした。1620年にプラハ郊外の白山の戦いでボヘミアの新教徒は敗れた。ボヘミアはほぼハプスブルク家の支配下に編入された。

④この時反乱を指導した貴族や騎士は処刑された。ボヘミアではカトリックが強制されてドイツ語使用が義務となった。

⑤第2段階デンマーク戦争に入る。1625年から北欧のデンマーク王クリスチャン4世が介入した。イングランドや新教勢力のサポートを得ながら台頭していった。

⑥これに抵抗したフェルディナンド2世が採用した傭兵部隊の司令官はワレンシュタインであった。

ワレンシュタインはデンマーク軍を圧倒した。1629年にリューベックの和約を結んでデンマークは撤退した。

⑦傲慢なワレンシュタインは反感を持った皇帝により一時失脚した。1630年から第3段階スウェーデン戦争に突入する。

⑧スウェーデンのグスタフ2世・アドルフが介入し始めた。スウェーデン軍はドイツ軍を打倒していった。皇帝の腹心であるティリーが戦死したため皇帝はワレンシュタインを復帰させた。

⑨1632年にリュッツェンの戦いが勃発した。グスタフ・アドルフが戦死しスウェーデン軍は混乱した。

皇帝は嫌っていたワレンシュタインを暗殺した。1635年にプラハ条約が結ばれて戦闘は一旦終結をした。

⑩グスタフ2世の後任はクリスティナ王女であった。三十年戦争は継続されて、フランスとの同盟を実現した。

⑪1635年からは第4段階フランス・スウェーデン戦争が始まる。フランスはテュレンヌ将軍を派遣してスウェーデンは巻き返した。

⑫オランダとフランスはスペインとの戦いで優勢となりスペインの覇権は低下していく。新しく神聖ローマ皇帝になったフェルディナンド3世は和平の動きを開始した。

⑬この情勢で講和に向けての討議が行われた。ウェストファリア地方のオスナブリュックとミュンスターで行われた。1648年に各国が講和条約に調印し三十年戦争は終結した。

⑭これ以後もフランスとスぺインの戦いは行われていたが
1659年にピレネー条約が締結され終焉した。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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