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個人主義のモットー
個人主義とは権威を否定して個人の権利や自由を尊重する立場である。
国家や社会の重要性における根拠を個人の尊厳に求めその権利と義務の発生原理を説く政治思想でもある。
全体主義といった個人の自由や社会集団の自律性を認めず個人の権利や利益を国家全体の利害と一致するように統制を行う思想と集団主義といった個人や国家よりも社会集団に対して価値を置く思想と相反する考え方である。
個人主義のポイントは権威主義ではないという事だ。
一所懸命に勉強をして有名人になる個人主義者はいない。
社会的地位や人脈自慢をする個人主義者はいない。
自主的に虎の威を借る狐となったりネオリベリズム下で過剰迎合を行う意識高い系は明白に個人主義者にはなれない。なぜなら評価基軸を国家や集団の権威に求めるからである。それは個々人の自由下の行動で判別可能である。
自由な生き方、自由な働き方という性質はきわめて重要だがその自由のベクトルが権威を向いているのならばそれは個人主義とは云えない。
全体主義のような明確な言論統制をされていない社会であっても自主的に権威や需要を求める人々が増える事により全体主義的傾向は強まるであろう。
推し活動が結果的に横暴な独裁者を生み出す事は珍しくはない。
抑圧委譲によって自身の価値観を見出す人々が一定数存在する。いじめやハラスメントは社会正義を逆転した抑圧委譲によって行われるものだ。
通俗道徳を用いた自警団が必ずしも全体主義によって束ねられるものではない。自らの自己顕示欲を満たすために自警団が結成される事もある。民主主義から専制主義が生まれ自由主義から全体主義が蔓延るのは歴史の常だ。
ゆえに個人の自立性や自律性をアピールしているからといって力点を権威にしている場合は個人主義とは言い難い。とりわけ平成型の新自由主義の末路は自主的な権威主義者の確立であった。
集団主義と個人主義の境界はきわめて難しい。個々人は家族や学校や会社や宗教やクラブなどに所属し活動する事によって自身を見出していくからである。ゆえに個々人の価値観は集団風土によって形成されていくからだ。
まとめよう。
先ず個人主義になるためには権威に迎合しない事だ。権威に迎合するフリーランスは同義矛盾である。意識高い系にならない事だ。
天狗にならない事だ。いじめをしない事だ。ハラスメントをしない事だ。
通俗道徳を振り回さない事だ。公共の福祉を貴ぶ事だ。立憲主義を遵守して自身の権力を縛る事だ。
個人主義者であっても集団の影響を大きく受ける事は自覚する事だ。その上で決して他者に依存せずに他者を尊重する事だ。フィードバックのために他者と交流するのは個人主義者の特権だ。
必要な制限は加えても意のままに他者を操作しない事だ。管理や干渉は自己利益のためではなく他者利益のために行うものだ。自身の思考回路が他者の思考回路にならない事だ。集団思考に陥らない事だ。ファンや信者にならない事だ。教祖やアイドルとなって権力を濫用しない事だ。
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