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【歴史概要33】ナイジェリア紛争・ビアフラ戦争・ボコ・ハラム運動・ニジェール独立運動

①ナイジェリアにはニジェール川が流れている。

ナイル川、コンゴ川と並ぶアフリカ三大河川でありアフリカ西部のギニア高原が源流である。

②ナイジェリアの海岸に最初に来たのはポルトガル人であった。続いてイギリス人、フランス人が進出しここを奴隷貿易の拠点とした。この海岸は奴隷海岸とも呼ばれていた。

③海岸地帯では渡来ヨーロッパ人の影響でキリスト教が拡大していった。北部は中世以来アラブによるキャラバン貿易の通路だったのでイスラーム教が勢力を持った。

④ナイジェリアの代表民族、北部のハウサ族はムスリムが多く南西部のヨルバ人はキリスト教徒が6割、ムスリムが3割、アニミズム信仰が1割である。東南部のイボ族は多数がキリスト教徒である。これに石油資源が絡み問題は複雑化していく。

⑤東の隣国であるカメルーンはドイツ領だったがここの一部がナイジェリアに併合された。ナイジェリアは第2次世界大戦後の1960年に3つの州の連邦体として独立を果たした。しかし部族、資源の問題をセルフコントロールする必要がでてきた。

⑥ビアフラ戦争のきっかけは東南部のイボ族が多い地域で石油資源が発見され経済的利益を背景にこの地域がビラフラとして独立しようとした事である。

イギリスやソ連は連邦側を支え、フランスや南アフリカ共和国はビアフラをサポートした。国際世論はビアフラを支援していたが、国際的には連邦支援が多くビアフラ側が敗北した。

⑦ボコ・ハラムは1990年代から拡大しているイスラーム主義運動の一つである。ビアフラ戦争の後にムスリムが多いハウサ族からキリスト教徒が多いイボ族への報復はほぼなかったがナイジェリアの政治状況は混沌としていた。このなかでボコ・ハラムは厳格なイスラーム法による社会建設を始めていく。

⑧ナイジェリアの北部にニジェールがある。ここは植民地時代フランス領だったが1960年に独立を果たした。人口で6割近いのはハウサ族だが1割ほどトゥアレグ族という部族がいた。

サハラ砂漠のキャラバン貿易にも従事した勇敢な部族である。サハラ砂漠の西部、ニジェールとマリ、アルジェリア、リビアの一部にまで広がっていた。

⑨この地域の鉱山資源問題が絡んでトゥアレグ族は時の独立運動を起こしニジェールだけでなく各国の政治がしばしば影響を受ける事などを学びました。

■参考文献
『ライバル国からよむ世界史』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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