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【歴史概要23】朝鮮戦争・第1次インドシナ戦争・ヴェトナム戦争

①第2次世界大戦で日本は敗北し朝鮮半島はアメリカとソ連の占領下に置かれた。南部はアメリカの支援を受けた李承晩、北部ではソ連の支援を受けていた金日成が代表となった。両者の対立は深刻で統一への話し合いは棚上げ状態になっていた。

②1947年にアメリカは国際連合に問題を持ち込み国連の監視下で総選挙を行う事が決定された。しかし北朝鮮側が国連の監視委員の38度線以北への立ち入りを拒んだので1948年5月に南部単独で選挙が行われ1948年8月15日に大韓民国(韓国)が建国した。

③1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が樹立された。1950年にソ連の支援を取りつけた北朝鮮が38度線を越えて韓国に侵入し不意をつかれた韓国軍は釜山周辺まで追い込められた。

④アメリカを中心とする国連軍が仁川上陸作戦を展開し北朝鮮軍は鴨緑江まで追い詰められた。中国は北朝鮮に対し義勇兵を送った。このため北朝鮮軍は半島中部まで盛り返した。

⑤1953年7月27日に板門店の休戦協定を調印し38度線を軍事境界線として休戦が成立した。中国義勇軍の攻撃に対してアメリカ軍総司令官のマッカーサーが鴨緑江を越えた攻撃、原子爆弾の使用を要求した事などが休戦協定調印のきっかけとされている。

⑥その後北朝鮮は軍備を最優先し自然災害や肥料不足による農業の低迷などにより多くの餓死者が出る悲惨な社会状況になっている。政治は金一族(金日成・金正日・金正恩)の世襲体制を維持するための独裁体制である。

⑦韓国は建国当初は経済が疲弊していた。李承晩の独裁体制以後も朴正煕が独裁政治を維持し民主化要求は抑えられていた。1965年には日朝国交回復を実現しアメリカや日本の支援を得て経済再建政策を推進していった。

朴正煕が暗殺された後も全斗煥や盧泰愚と軍人出身者が蔓延ったが盧泰愚政権の下で成立した1987年の憲法は民主的なものであった。金大中によって民主化が浸透していく事になる。

⑧ヴェトナムは19世紀以来フランスの植民地だった。第2次世界大戦中には日本がここを占領していた。対日運動の指導者であったホー・チ・ミン(胡志明)は日本の敗北後にヴェトナム民主共和国(北ヴェトナム)を樹立した。

⑨戦後にインドシナ半島を再植民地しようとフランスが復帰してきた。ここから第1次インドシナ戦争が勃発した。

フランスは劣勢になりそれは1954年のディエン・ビエン・フーの戦いで決定的になった。

⑩北ヴェトナムの優勢はインドシナ地域での共産勢力の拡大を意味したため、防共目的でアメリカはフランスを支援した。インドシナ戦争は1954年のジュネーブ協定で終焉した。

⑪アメリカと南部ヴェトナムはジュネーブ協定に調印せずヴェトナム共和国(南ヴェトナム)を樹立し北ヴェトナムに対抗した。南ヴェトナムは支配階級の腐敗がひどく民衆の不満が募っていた。

⑫この状況を打破するために南ヴェトナム解放民族戦線(ヴェトコン)の反政府ゲリラ活動が激化していった。アメリカがヴェトコンのサポーターである北ヴェトナムへ直接攻撃(北爆)を開始することでヴェトナム戦争は始まった。

⑬圧倒的な近代兵器が投入されたが、アメリカは劣勢で1968年にはヴェトナムの首都サイゴン(ホー・チ・ミン市)にあるアメリカ大使館がヴェトコンに占領された。

⑭アメリカは1969年ニクソン政権でヴェトナムからの撤退表明をした。1973年にはパリ和平条約に基づきアメリカはヴェトナムから撤退した。アメリカの不敗神話は崩れ去った。

⑮解放勢力は1975年にサイゴンを陥落させた。1976年に南北ヴェトナムは統一されヴェトナム社会主義共和国が樹立した。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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