①中華人民共和国は国民党を下野し中ソ友好同盟相互援助条約によってソ連のサポートを得ながら現代国家を形成していった。
朝鮮戦争ではソ連の直接介入はなく中国は義勇兵を送るという形で参戦した。
②中ソの蜜月関係は朝鮮戦争の休戦協定からヴェトナム戦争勃発までの間に大きく変貌した。スターリンが亡くなり、1956年にフルシチョフが行ったスターリン批判が端緒である。
③1962年のキューバ危機に際しては、結果的に対米強硬策を撤回し平和共存という方針を打ち出した。
④当時の中国共産党の姿勢からは資本主義の権化アメリカと共存する事は愚行であった。ソ連型の工業中心の社会主義と中国型の人民公社にみられる農業中心に隔たりが見られるようになる。
マルクス主義を放棄した社会主義、表層は社会主義だが中身は帝国主義と非難された。
⑤1969年には国境のダマンスキー島で武力衝突事件が起きる事となった。スターリン批判は北朝鮮にも影響を与えた。それが金日成批判になる事を恐れソ連との関係は悪化していった。
⑥アメリカに続いてソ連や中国でも核兵器の開発が成功し今までの圧倒的なパワーが揺らいだ。
ヴェトナム戦争では敗北し1971年にはドル防衛策を打ち出さざるを得なくなり経済支配も揺らいだ。
⑦ケネディが介入し始め、ジョンソンが北ヴェトナムと開戦しニクソンが撤退を決めたヴェトナム戦争は国内での反戦運動を高めた。カーター政権ではイラン介入が失敗する。この流れの挽回でレーガンが出てくる。
⑧ヴェトナム戦争の後遺症はそのまま隣国のカンボジアに飛び火した。そこで明らかになったのはソ連と中国の対立関係であった。中越戦争により中国は敗北し軍隊の近代化を模索していった。文革終焉を経て鄧小平は改革開放を推進していく。
⑨アフガニスタン紛争で失敗したソ連は1985年以来ゴルバチョフらが改革を行っていた。そこで中ソ関係の改善が試みられた。
⑩1989年に中国軍は天安門に集まった民主化を求める学生知識人を虐殺した。これが天安門事件である。中国共産党の権力は肥大化していく一方でソ連が1991年に崩壊する。
⑪北朝鮮は旧ソ連や中国が社会主義を捨てた後、世襲体制で社会主義を標榜する数少ない国である。しかし軍事主導の先軍政治であり、旧ソ連や中国のような羊頭狗肉社会主義である。
■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社