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【歴史概要16】第3次中東戦争・第4次中東戦争

①1964年にヨルダンのアンマンで反イスラエルの組織が集まってPLO(パレスチナ解放機構)が結成された。1966年にはシリアに移動してイスラエルへのゲリラ攻撃を始めた。

②PKOの軍が撤退した1967年6月5日にイスラエル空軍機がシリア、エジプト、ヨルダンの空軍基地を先制攻撃し戦闘機に壊滅的な打撃を与えた。これがきっかけで第3次中東戦争が起こる。

③イスラエルは陸軍を動かしシリアからゴラン高原、ヨルダンからはエルサレムの旧市街、ヨルダン川の西岸地域、エジプトからはガザとシナイ半島を奪った。

イスラエルの領土は約4倍となった。6月8日にシリア・ヨルダン、10日にはエジプトと休戦協定が成立し戦闘は6日間で終わる。

④PLOはこの後ヨルダンが積極的に支援するようになった。しかし1970年にPLOの一派がハイジャック事件を起こすとヨルダンは国際的に孤立した。ヨルダン国王は一派を弾圧したが、PLOはヨルダン政府の打倒を掲げて政府軍と戦った。これが黒い9月事件(ヨルダン内戦)である。

⑤ヨルダンを追われたPLOはレバノンに本拠を移した。これが後のレバノン内戦の原因となる。

⑥第3次中東戦争の敗北でエジプトのナセルの権威は失墜した。期待する国民の声が大きかったので引き続き政権を担当するが1970年に心臓発作で亡くなった。この跡を継いだのがサダトだった。

⑦サダト大統領はエジプトの威信回復とアラブ世界の指導力の強化を目指して活動を開始した。1973年10月6日、ユダヤ人の祝祭日ヨム・キプール(贖罪の日)にエジプトとシリアはイスラエルに奇襲攻撃を行い作戦は成功した。

両国はシナイ半島、ゴラン高原で中東戦争始まって以来の成果をあげた。イラクやヨルダン、サウジアラビア、クウェートは軍事・金融支援を行った。

イスラエルはソ連の参戦などを警戒し首都攻撃はとどまった。イスラエルがゴラン高原などいくつかの占領地を回復し月末に停戦が実現した。

⑧第4次中東戦争ではアラブの産油国が石油戦略をとった。親イスラエル国家に対して石油の輸出を禁止した。これが1973年のオイルショックを引き起こした。

⑨第4次中東戦争後、サダトは外交方針を変えイスラエルと共存政策を実施していった。1977年、イスラエルのベギン首相に招かれてエルサレムを訪問した。1978年にアメリカのジミーカーターの調停でキャンプ・デービット合意に至った。これでシナイ半島の回復に成功し1979年にはイスラエルとの和平協定に調印した。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社


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