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【歴史20】カナダ史備忘録12(フレンチインディアン戦争・ケベック住民・パリ条約(1763年))

カナダ史の学習内容を深めていきます。

①北米大陸による英仏対立の最終バトルはフレンチ・インディアン戦争であった。

イギリスが北米大陸の東部沿岸から五大湖の南のオハイオ川流域へ勢力圏を広げようとしたためフランス軍が抵抗をした。

②1754年に大規模な戦乱となった。周辺の先住民は戦いに巻き込まれた。イロコイ同盟はイギリス、アカディア一帯に住んでいたミクマク族は友好関係にあったフランス側についた。

③北米大陸の戦闘はフランスが有利であった。ヌーヴェルフランスの人口が約5万であったが北米大陸全域のイギリス領の人口は100万人であった。そのため優勢が続くとは云えなかった。

④1758年にイギリス国務相(首相)のピットが北米大陸へ派兵を増強した。イギリス軍はセントローレンス川に沿って内陸部へ侵攻した。1759年にエイブラハム平原(アブラム平原)の戦いに勝利してケベックシティを占領した。

⑤1760年にはモントリオールを陥落させた。イギリスは勝利して1763年に結ばれたパリ条約によってヌーヴェルフランスはイギリス支配下となり英領ケベックとなった。

⑥ニューファンドランド島の沖合に浮かぶサンピエール島とミクロン島はフランス領となった。英仏の領有争いは続いて1814年のパリ条約でフランス領となった。

⑦1763年のパリ条約で北米大陸で英仏の争いは終焉した。イギリスは安定して北米植民地経営をするようになった。モントリオールを陥落させた部隊指揮官のジェームズ・マレーが英領ケベックの初代総督となった。

⑧英領となったアカディアはフレンチ・インディアン戦争の初期には強制的に数千人のフランス系住民が追放されたが一部は終戦後に元の居住地に戻った。アカディアを含む今のニューブランズウィック州の住民の約30%はフランス語を使う。

⑨アカディアとケベックのフランス系移民のなかにはイギリス支配を嫌い移住した者もいた。移住先はフランス本国、カリブ海の仏領ハイチ、今のアメリカ中西部の仏領ルイジアナ(1763年からはスペイン領)であった。

⑩ケベックに留まったフランス系住民は政治的にフランス本国から離れた。しかしフランス語とカトリック信仰、フランス式の生活習慣は維持し続けた。フランス系カナダ人という民族意識を持ち生活する事となった。

■参考文献 『1冊でわかるカナダ史』細川 道久 河出書房新社

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