【歴史19】エジプト史備忘録19(リビア王朝・国土分裂・クシュ王国)
エジプト史の学習内容を深めていきます。
①ラメセス朝時代にデルタ地帯に侵入したリビア人は
エジプト軍に敗れた後に傭兵として住み着いた。
②第21王朝の頃にはリビア人は武力で地位を高めて一大勢力へと成長していった。リビア人部族の首長の息子である大オソルコンは下エジプトの第21王朝の第5代目の王となった。
③第21王朝の最後の王はテーベのアメン大司祭であったプスセンネス2世であった。リビア人の台頭は続いてオソコル王の甥であるシェションクがシェションク1世となって王位を継承した。こうして第22王朝が開かれた。
④息子のイウプウトをテーベのアメン大司祭に就かせて上エジプトのアメン神権国家を支配下に置いた。再度エジプト全土を1人の王が統治する時代を復活させようとした。
⑤シェションク1世はシリア・パレスチナの領土を回復するために軍事遠征を行った。その勝利を記念した図像はテーベにあるカルナクのアメン大神殿の壁面に刻まれていた。第22王朝の中心地はタニスだった。
⑥シェションク1世はエジプトの再統一と中央集権の強化を進めたがうまくいかなかった。後継者たちの時代にエジプトは再び分裂した。
⑦第22王朝4代目の王オソルコン2世の治世末にはテーベのアメン大司祭タケロト2世が上エジプト王を名乗ってテーベを中心とする第23王朝が登場した。第22王朝と第23王朝は一時期並び立ったが第22王朝の権威は弱まり消滅した。
⑧この後にエジプトでは各地で自治を主張する王が現れた。植民地であった南のヌビアではアメン神を信仰するクシュ王国が台頭した。クシュ王国の王はアメン神を深く信仰していた。
⑨BC750年ごろにクシュ王国のカシュタ王はヌビア全域を支配下に置いて上下エジプト王を名乗ってアメン信仰の中心地であったテーベを訪れた。支配下の拡大を目論んだ。
■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社
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