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【日本史9】明治史備忘録46(下関条約・三国干渉・臥薪嘗胆・日清通商航海条約・乙未事変・三浦梧楼・高宗・ロシア公使館・大韓帝国)

①下関条約では5つが定められた。

(1)清から朝鮮を独立させる事、(2)清が日本に2億両の賠償金を支払う事、(3)遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲渡する事、(4)沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に対して開港する事、(5)日本に外交での最恵国待遇を与える事である。

②調印の6日後に「日本が遼東半島を領有する事によって清の都の北京の防衛を脅かして東アジア情勢を不安定にさせる」としてロシアがフランスとドイツとともに遼東半島返還の勧告をしてきた。これが三国干渉だ。

③イギリスのアーチボルト内閣は政府と議会の内紛に追われていた。またロシアへの警戒世論が強かったので干渉しなかった。

④日本は遼東半島を手放した。

日本国民のなかでロシア反発が高まって政府とマスコミは臥薪嘗胆というスローガンを広めてロシアへの戦争を想定して軍備拡張を支持する世論を形成していった。

⑤1896年(明治29年)7月に日本は清と日清通商航海条約を結んだ。日本側の領事裁判権を定めて清の関税自主権を認めない不平等条約だった。

上海、天津、厦門などに日本による租界が築かれた。

⑥日本は独立した朝鮮に対して内政改革を受け入れさせた。高宗と閔妃たちは介入を拒否してロシアに接近した。日本公使であった三浦梧楼は軍人と民間人を動員して太院君を持ち上げた。

⑦親ロシア派を打倒するクーデターを起こして閔妃を倒した。これが乙未事変である。

三浦は公使を解任され実行犯とともに逮捕された。後に日本の裁判結果で証拠不十分で三浦たちは釈放された。

⑧高宗は約3年ロシア公使館に匿われた。高宗は清からの独立を内外で示すために1897年(明治30年/光武元年)に大韓帝国(韓国)と改めて皇帝となった。

閔妃は亡くなり大院君は影響がなくなっていた。高宗はロシアとの友好関係を強化しながら日本の介入を退けようとした。

■参考文献 『1冊でわかる明治時代』 大石学 河出書房新社

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